「キャッチャーは打てなくてもいい。守りさえしっかりできればいい」
 プロ野球の世界では、しばしば、そんなセリフを耳にする。
「それは間違っています」
 はっきりとそう口にしたのが広島などで20年間に渡ってマスクを被った西山秀二だ。

 西山はベストナインに2度(1994、96年)、ゴールデングラブ賞にも2度(94、96年)輝いているのだから名捕手と言っていいだろう。
 西山は続けた。
「多くの評論家が“キャッチャーは守備や”と言いますが、それは現実を知らない人の意見ですね。実際のところ、守備がナンボできたところで評価には結び付きません。
 それが証拠に94年に僕がベストナインに選ばれた時は、盗塁阻止率が3割8分2厘で失策も2つだけ。ところが、まわりは“やっぱり古田(敦也)や”ですから。
 そこまで言われれば、僕も反論したくなりますよ。“じゃあ3割打てば認めるんかい?”と。それまで、僕は1度も3割を打ったことがなかった。それが古田さんとの評価の差になっているのだとしたら、意地でも打ってやろうと。
 だから96年のシーズンは、必死になってフォアボールをとり、内角のボールに対しても逃げなかった。出塁率が高くなれば、おのずと打率も上がりますからね。確かこのシーズンは四球の数(44)もデッドボールの数(7)も過去最高のはずです」
 その甲斐あって、96年、西山は3割1分4厘という好打率を残した。セ・リーグ打撃ベストテンの8位だった。
「これによって一番変わったのはベンチです。何も言わなくなった。これまでは負けると、すべてキャッチャーの責任にされていた。
 どんなにきっちりピッチャーをリードしたところで、ピッチャーがコントロールミスをしてホームランを打たれれば“何であんなところに放らせるんだ!?”とキャッチャーが叱られるんです。僕らは“すみませんでした”と言うしかない。
 ところが、3割打つと、誰もそんなこと言わなくなる。今度はこっちがミスしても“ピッチャーが悪いから負けたんだ”となる。要するに3割打っているキャッチャーは誰も叱れないんです」

 プロ野球史上、最もよく打ったキャッチャーといえば野村克也にとどめを刺す。
 戦後初の3冠王、通算本塁打657本(2位)、通算安打2901本(2位)、通算打点1988(2位)……。
 野球評論家の江本孟紀がノムさんについて面白い評論を試みている。
<ところで野村監督は、どうして人気があったのか?
 長嶋さんのように東京六大学野球のスターであったわけでもない。王貞治さんのように甲子園のスターであったわけでもない。
 それでも野村監督に人気があったのは、ホームランバッターだったからだ。あの頃も、そして今もホームランバッターはいつの時代でも子どもに人気がある。ホームランバッターの人気は、情報がいくら変化しても変わらない“永遠の真理”なのだ。>(『野村克也解体新書』江本孟紀著・無双舎)

 ノムさんといえば球界きっての知性派として知られている。野球の解説をやらせれば、右に出る者はいない。
 難しい配球理論を駆使した解説は、まるで学者を思わせる。「ベースボールをアカデミズムの領域にまで高めた人」と呼んでも過言ではあるまい。
 なにしろキャッチャーという激務をこなしながら、球界史上最多の3017試合に出場しているのだ。この豊富な経験が味のある解説のバックボーンになっていることは言うまでもない。
 しかし、よくよく考えると、3千を超える試合に出場できたのは、ノムさんが打てるキャッチャーだったからに他ならない。もしノムさんが1シーズンに10本程度しかホームランの打てない非力なバッターだったら、早い段階で打てるキャッチャーにとって代わられていただろう。
 三段論法風に言えば、打てるキャッチャーだから、試合に出続けることで、リードが磨かれていったのだ。リードが磨かれることで、一層の信頼をピッチャーから勝ち取ることができたのである。

 キャッチャーというポジションは、たったひとつしかない。レギュラーからポジションを奪おうとしても、経験豊富な先輩に最初からリード面で勝てるわけがない。
 首脳陣にアピールする手っ取り早い方法はバッティングだ。打てば使ってもらえる。使ってもらえば、リードもうまくなる。この仕事、試合に出ないことには何も始まらない。

<この原稿は2011年9月20日号『経済界』に掲載されたものです>

◎バックナンバーはこちらから