W杯PK戦初勝利導く? 森保監督&選手に薦めたい本

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「ショーン」という名前が「SEAN」という綴りであることを、わたしはその記録映画で知った。82年W杯スペイン大会の記録映画で、彼はナレーターを務めていた。

 

 準決勝の西ドイツ対フランス戦。史上初のPK戦にもつれこんだ瞬間を、彼はあの美低音でこう表現した。

 

「フットボーラーズ・ロシアンルーレット……ペナルティーキック」

 

 以来、わたしの中でのPK戦は、危険な運試しでしかなくなった。囁きの主は、あのジェームズ・ボンド、あのショーン・コネリーだったのである。

 

 なので、南アフリカで駒野が外そうが、カタールで南野、三笘、吉田が失敗しようが、PK戦がロシアンルーレットでしかなかったわたしには、批判しようという気が微塵も湧いてこなかった。森保監督がキッカー選びを選手に任せたことについても、また然り。

 

 野球評論家の里崎智也さんによれば、「野球とはPKを延々と繰り返すようなスポーツ」なのだそうである。なるほど、わからないではない。どこに投げるか。どう打つか。どこに蹴るか。どう止めるか。3割打てば好打者、3割止められればPKの名手。数字まで似ている。

 

 だが、「PKとは野球のようなもの」とは言い難い。少なくとも、現時点では言い難い。というのも、野球の打者の多くは、少しでも成功の比率を高めるべく、打席に入る際に自分なりのルーティンを持っている。翻って、PKを蹴る際、己の行動に何らかの規則性を持たせようとしている選手は、世界的に見てもまだまだ少数派だからである。

 

 サッカーと同じくキックが重要な意味を持つラグビーを見てみよう。なぜ五郎丸歩さんはあれほど人気になったのか。キック前のルーティンが有名になったから、でもあった。ラグビーのPGの成功率も、サッカーにおけるPKのそれとほぼ同じ。難易度の差異を考えると、ちょっと意外な数字ではある。

 

 PKに運否天賦の部分があるのは紛れもない事実。しかし、他の競技では、そこに人為的な工夫を持ち込み、確率の向上を目指しているのに比べると、サッカーはあまりにも無作為ではなかったか。そしてどうやら、世界では多くの指導者が、選手が、そうした現状に気づきつつあるらしい……ということを教えてくれたのが、「なぜ超一流選手がPKを外すのか」(ゲイル・ヨルデット、文芸春秋)という一冊だった。

 

 本書は、欧州の主要リーグでプレーする130人以上の心理アドバイザーを務めるノルウェー人の著者が、PK戦にまつわる膨大な資料と肉声(その中には遠藤保仁も含まれている)をもとに書き上げた傑作である。

 

 彼が向かい合ってきたのは、ショーン・コネリーや、彼に感化されたわたしのような人間だった。PK戦と聞いただけで神頼みしか手段がないと思い込んでしまう人間に、勝つ可能性を高める手段がないわけではない、と説くことだった。

 

 とはいえ、頭が痛くなるような学術書ではない。W杯カタール大会決勝のPK戦の描写は、本書を手にビデオを見返したくなるほどにスリリングだった。アルゼンチンGKマルティネスのやっていたことが、現役時代の野村克也さんに酷似していることもわかった。彼にとって、PKは野球だった。

 

 ここまで、日本はW杯のPK戦で一度も勝ったことがない。なので、森保監督には、日本代表の選手には、ぜひ本書を読んでほしい。目からウロコがボロボロ落ちることだけは保証する。

 

<この原稿は25年5月1日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>

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