女子W杯で世界一になった「なでしこジャパン」の面々が国民栄誉賞を受賞するにあたり、「断った人」として、今頃になって脚光を浴びたのが盗塁で一世を風靡した元阪急の福本豊である。
 通算盗塁数の「世界記録」は1993年にリッキー・ヘンダーソンによって破られたが、通算1065盗塁は日本においてはアンタッチャブル・レコードである。

 83年6月、当時の盗塁の「世界記録」を更新した福本に知り合いの国会議員を通じて、時の政府から「国民栄誉賞を与える用意がある」と打診があったという。
 福本は「国民栄誉賞をもらう人は国民の模範。そんな重い“リュックサック”背負って歩けへん」と考えていた。
 そこで、こう言って断った。
「それをもらったら立ちションもできんようになりますワ」
 庶民派の福本ならではのエピソードである。
「それに僕は大阪弁でしょ。衣さん(衣笠祥雄)だって、国民栄誉賞をもらった途端に標準語になった。僕はあんな器用な真似できませんワ」

 そんな福本と過日、話をする機会があった。これはあまり知られていないのだが、早くから彼はヘッドスライディングの危険性を指摘している。
「アウト1回、ケガ一生」
 これが福本の口ぐせである。
 走者は焦ると、どうしても頭からベースに飛び込みたくなるものだが、賛成できないと福本は言う。
「少年野球でもヘッドスライディングをさせる指導者が少なくない。“いっぺんやってみてや。首が痛うなりますよ。その怖さを体験してください”と僕は指導者に言うんですよ。子供がケガでもしたら一生が台無しになりますよ」
 福本の念頭にあるのは清水哲の事故だ。
 清水哲はPL学園での桑田真澄、清原和博の一年先輩にあたる。甲子園で活躍した後、同志社大に進み、さぁ、これからという時に事故は起きた。
 関西学生野球秋季リーグ戦での出来事。清水は1年生だった。

<「ヒットエンドランのサインだ!」
 ピッチャーの投球と同時に、私は全力でスタートを切りました。
「バッターはどうしてる?」
 走りながら、バッターを見ました。しかし、バッターは打つ気配がありません。ボールを見送っているではないですか。
 単独盗塁の形になってしまいました。しかし、まだ私の頭は混乱しています。
「おかしいぞ? なぜ、打たないんだ。それとも俺のミスか?」
 この迷いが、滑り込むタイミングを微妙に狂わせたのかもしれません。
 二塁には、足から滑り込んでもよかったのです。でも、私は決めていました。
「監督にアピールするにはヘッドスライディングしかない。ヘッドスライディングをすれば、たとえアウトになっても、チームに活気がつくというものだ」
 こういうことを考えたのは、これがはじめてではありません。高校の時からしょっちゅうやっていたことです。このときも、その何百回のうちの一回で終わるはずでした。
 私は、頭を前にして、ベースに飛び込んでいきました。相手のショートがセカンドにはいってくるのが見えます。一瞬「危ない」と思ったのですが、そのときはもう手遅れでした。
 つぎの瞬間“ゴキン”という鈍い音がしました。どうやら相手のショートにぶつかったらしい、ということだけはわかりました。>(清水哲著『桑田よ清原よ生きる勇気をありがとう』ごま書房)

 診断の結果は「第四、第五頸椎脱臼骨折」。主治医から「一生寝たきりの生活」を告げられたのは、手術から3カ月後のことだった。
 PL時代の清水についてはよく覚えているが、複数のポジションを守れるファイターだった。もし事故にさえ遭わなければ、いずれプロのユニホームを着ていただろう。
 そんな選手が、ほんの一瞬の事故で選手生命を奪われてしまったのだから、これは球界全体の損失だと捉えるべきだ。
 高校野球を見ていると、解説者は例外なく「気迫あふれるいいプレーですね」とヘッドスライディングをベタ褒めする。気持ちはわかるがケガの危険性を指摘する冷静な視座も持ち併せておいて欲しい。

 現在、福本は「身体障害者野球を応援する会」の会長を務めている。国民栄誉賞をもらうよりも、はるかに実のある活動と言えるのではないか。人間の価値は勲章だけではかれるものではない。

<この原稿は2011年9月30日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

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