NovaがGoliathで覗かせた能力と心のジレンマ
さる5月5日、CSテレ朝チャンネル2にて羽生結弦 Echoes of Life ~全プログラム&舞台裏SP~が放送された。ここでは、Echoesのプログラムの1つである「Goliath」について述べたい。
羽生はこのプログラムについて、こう述べた。
<「Goliath」という神話や物語には一切の関係はございません。もっぴーさうんど様のゲームライクなこの楽曲にシンパシーを受け、滑らせていただきました!>(2023年12月23日「羽生結弦official_Staff 公式」Xアカウントより)
ただ、彼はプログラムの意味の持たせ方について、以下のようにも語っていた。23年11月4日、「RE_PRAY」埼玉公演初日後の囲み会見でのこと――。
「今までやってきたプログラムたちが、その物語の中に入った時に、“全く違う見え方があるよね”“こんな見え方もあったんだな”って。そういったことを1つの流れで魅せるのが(アイスストーリーの)主旨」
この文脈で語れば、公開当初のGoliathと、Echoes of Lifeというパッケージの中に入ったGoliathは“違う意味を持っている”とも捉えられる。だからと言って、“じゃあ、神話のGoliathだ”と安易に語る気は、ない。
これはスポーツでもあり、芸術でもある。フィギュアスケートでもあり、物語でもある。ならば、その前後関係を捉えることが大事になってくる。
羽生演じるNovaは争いを始めることも、ある意味終わらせることもできる能力の持ち主だ。
自分は、恐ろしい能力を有している。それイコール最強なのか? と言えば、そうではないのがNovaなのだ。どうして私はひとりなのか。なぜ、みんないなくなったのか。私のせいなのか。私がきっかけだったのか。じゃあ、こんな能力、こんな役割なんていらない。自分が欲してこんな能力を有したわけではない。今が、自分の能力を使う時なのか。本当にいいのか。
EchoesでのGoliathは、能力の強さと心の脆さ、強さと弱さ、豪快さと繊細さによるジレンマなどが見事に表現されていたように映る。また、自己を確立する前のフィジカルとメンタルのアンバランスさが、Novaを放っておけない理由なのかもしれない。
Novaはこの後、自分の力は再生にも使えると考える。アクアが大地に潤いを与え、草花が咲き、蝶がひらひらと寄り添ってくる。この世界でひとりぼっちだったNovaにとって、とてつもなく嬉しかったはずだ。
上記に論じたGoliathの解釈だけが正解だ、などとは思わない。正解は1つではない。これだけ書いておきながら私の中にも都度、別の解釈がうまれたりする。これこそ、羽生がアイスストーリーの内部に仕掛けた“からくり”であり“沼”の正体なのだろう。
各々が、総指揮者の思惑から激しく逸脱しない程度に思考を巡らせる。そして、再度Echoesを鑑賞する。こうすることで、このアイスストーリーの味わいは一味も二味も変わってくるのだ。
(文/大木雄貴)