Nova君からの伝言だろうか

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「羽生結弦 Echoes of Life ~全プログラム&舞台裏SP~」が5日、CSテレ朝チャンネル2で放送された。同番組で公演を振り返った人も多かっただろう。

 

 Echoes of Lifeとは、羽生演じる「VGH-257 Nova」が世界でひとりぼっちになりながらも、「わたしとは?」「命とは?」「役割とは?」といった問いを持ち、悩みながら答えを探す過程で成長していくストーリーだ。そして、観客にも気付きを与えるつくりになっている。

 

 この舞台裏SPをきっかけに、再度羽生の演技に魅了されつつ、自らについて考えた人もいるのではないか。

 

 以前、Echoes of Life開幕前、私は当サイトにこう記した。

<私はマスコミと言われる仕事に就いている。マスコミの一部である自分のことが悔しくなった。マスコミの一部であることに虚しさを覚えた。「そんな自分に何ができるんだ?」と自問自答した結果――。自分にできることは、マスコミの一部であり続けることなのかもしれない、と暫定的な答えを出し、今に至っている。>全文はこちら

 

 あの時期は“自分も、マスコミの一部だ……”と自らの職業が嫌になった。自分が書いた記事ではないものの、虚しくなった。近所の焼き鳥屋の壁やコンビニの自動ドアに貼ってある求人募集がやたらと目に入ってきた。

 

 Echoes of Life閉幕から時間が経ち、舞台裏SPを視聴した。再度、自問自答してみた。その結果――。

 

 あの時は“暫定的な答え”だったが、今は違う。体力が続き、環境的にもそれが許され、経済的に最低限でもやっていける限り、私はマスコミの一部であり続ける。もしこの職を辞した時には、羽生のメンバーシップ会員というものになってみたい気もする。だが、それはもっと未来の楽しみにとっておこう。

 

 14日朝、散歩で近所の神社を訪れた。東京都神社庁が毎月発行している「生命の言葉」という短冊がある。月ごとに書かれている言葉はかわる。

 

 令和7年5月の生命の言葉は<天 我が材を生ず 必ず用有り>だった。盛唐期の詩人・李白の詩である。「天は私という人間を生み出したのだから、必ず私に用がある」すなわち、人には役割や使命がある、という意味らしい。

 

 この詩に出会えたのは、偶然なのか。それともNova君からの伝言だろうか。

 

(文/大木雄貴)

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