元東北楽天監督の野村克也といえば「語録の宝庫」だ。数々の名言を残している。その中で最も印象に残っているのがこれ。
「人間は無視、称賛、非難という段階で試されている」
 野村いわく「選手は非難されるようになって、ようやく一人前。期待するゆえに非難するのである。期待していない選手に対し、非難はしない。無視されたり、称賛されている間は半人前である」

 同様のことを言っている監督が他にもいた。サッカー日本代表監督のアルベルト・ザッケローニだ。『監督ザッケローニの本質』(片野道郎+アントニオ・フィンコ著、光文社)という本の中で元ウディネーゼのDFヴァレリオ・ベルトットがこう述べている。
<ザックは僕のミスを1つひとつあげつらっては批判するのが常だった。あれは本当に気が滅入る経験で、嫌で嫌で仕方がなかった。一度など我慢できなくなって、泣きながら家に帰ったぐらいだよ。>

 そういえば野村も若き日の古田敦也をベンチの中で立たせてはよく説教していた。
「古田! 仕事の3原則はなんだ。計画・実行・確認だろ!」。今にして思えば、野村の“言葉のムチ”は古田が一人前のキャッチャーになるためのストレステストだったのだ。

 さてザッケローニの容赦ない“口撃”に耐えていたベルトットは、ある日、直談判に及ぶ。「どうしていつも僕をいじめるのか教えてほしい。自分には理由がわからない」。ザッケローニの回答はこうだった。
「いいか。私にいちいち文句を言ってもらえるうちは安心していればいい。むしろそれを喜ぶべきなんだよ。見込みがあると思うから言ってるんだ。心配は私に何も言われなくなった時にしなさい」。非難は期待の裏返しだとザッケローニは言いたかったのだろう。ベルトットは「この対話は、僕を人間としてもプレーヤーとしても大きく成長させる経験になった」と語っている。

 通信手段の発達につれ、「対話」という言葉自体が死語になりつつある昨今だ。メールの文字には感情も体温もない。叱咤にしろ激励にしろ、相手と向き合うことが大切だ。若者に「ウザイ」と言われてひるんでいるようでは、もう、その時点で名伯楽の資格はないのだろう。

<この原稿は11年10月19日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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