山下叶夢(東洋大学レスリング部/香川県高松市出身)第2回「栄光の裏にあった苦悩」
東洋大学3年の山下叶夢がレスリングを始めたのは、両親の影響が大きい。父・忍、母・和代は元レスリング選手で、彼女が生まれた時には高松レスリングクラブで指導者の道(父が監督で、母がコーチ)を歩んでいた。8学年上の姉、2学年上の兄も同クラブで競技を始めていた。彼女にとって、レスリングを選ぶことは必然に近かった。
山下にとっては、レスリング場が遊び場のようなものだった。門前の小僧が習わぬ経を読む如く、彼女はレスリング技術を自然と身に付けていったのかもしれない。母・和代の述懐――。
「たぶん気が付いたらマットに上がっていたという感じだったと思います。だから実質は1歳ぐらいからもうクラブの練習に参加していました」
山下は自身を「運動音痴」と称するが、母親の印象は若干、異なる。
「確かにバドミントンや卓球、野球などは得意じゃなかった。普通は小さい頃、キャッチボールをしたり、ボール遊びをしたりすると思いますが、ウチはずっとレスリングしかしてこなかった。身体能力に関しては高かったと思いますが、道具を使うのはお姉ちゃんもお兄ちゃんも苦手な方だったと思います。ウチのクラブはそういう子が多い。ただ、叶夢は走るのがすごく速かった。小学校の時、県の陸上大会の1000メートル走で4位に入りました。決勝は2組に分かれて、1組1位。2組目の3人が叶夢の記録を抜いて4位になった。それでも、叶夢も県の新記録でした」
母・和代によれば、特に年の近い兄への対抗心が強かった。
「兄がやることに対し、“私もやりたい”と言っていましたね。兄が塀の上を登っていたら“私も登る”、自転車を乗り始めたら“私も乗る”という感じでした」
年の近い“ライバル”の存在が山下を高めていった。
「競技成績のピーク」
とはいえ、はじめから順風満帆な競技人生を送ってきたわけではない。レスリングで結果が出始めたのは、小学1年生からだ。2011年夏、新潟で開催した全国少年少女レスリング選手権大会・小学生の部1年生22kg級Redで優勝を果たしたのだ。初の全国大会で、山下本人曰く「神が降りてきた」というのだ。母・和代の目にも「これまでとは、動きが全然違っていました」と覚醒したように映った。
この頃の得意技はタックル。アグレッシブに攻め続けるレスリングスタイルで、全国大会5連覇を成し遂げた。これはオリンピック3連覇&世界選手権13連覇を果たした吉田沙保里さんやオリンピック4連覇の伊調馨さんの小学生時代も為し得なかったことだ。この記録だけ見れば、飛ぶ鳥を落とす勢いだったかのように見えるが、中身は違った。
むしろ日に日に、年々、増していく周囲の期待が、彼女には重みとなっていた。山下は苦悩の想いをこう明かす。
「(連覇していく中で)自信が付いていくということはなかった。“結果を出さなきゃ生きている意味がない”と思っていたので、しんどかったです」
全国大会を連覇していた時期も、地区大会で負けることもあり、連戦連勝を刻み続けていたわけではない。対戦相手からはマークされ、思うように勝てないことで精神的にすり減っていったのかもしれない。
「この時が競技成績的にはピークでした」
そう自嘲気味に振り返る山下だが、当時の記憶はあまりないという。映像で見返すと「めっちゃ速かったし、バカ強い」と、現在とは違う超攻撃的なレスリングスタイルで突き進んでいた。
「さすがに今、あれほどガンガン、タックル入る勇気はないですね」
幼少期からレスリング一本で歩んできた山下だが、実は柔道と相撲の経験者でもある。
(第3回につづく)
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<山下叶夢(やました・かのん)プロフィール>
2004年5月11日、香川県高松市出身。レスリングクラブで監督とコーチを務める両親の影響で競技を始める。小学1年生から全国少年少女レスリング選手権大会で5連覇を達成した。高松北中学では全国中学選抜選手権の50kg級で優勝。高松北高校3年時には全国高校総合体育大会57kg級を制した。23年にはクリッパン国際大会の同級で優勝。U20アジア選手権は23年(55kg級)、24年(59kg級)と連覇した。天皇杯全日本選手権で2度(22年=55kg級、23年=57kg級)、明治杯全日本選抜選手権大会が2度(22、24年=いずれも57kg級)身長153cm。趣味はアニメ鑑賞。好きなアーティストは、嵐とちゃんみな。
(文・写真/杉浦泰介)