第816回 浅村栄斗、男泣きの2000安打
5月24日の北海道日本ハム戦(楽天モバイルパーク宮城)で、平成生まれとしては、初の2000安打を達成した東北楽天の浅村栄斗が、お立ち台で男泣きした。
「泣くなんて想像していなかったんですけど、今までのことがバッと出てきて……」
大台到達を目前にして打撃不振に陥り、パ・リーグ記録を更新していた連続試合出場が1346でストップした。重圧と戦いながらの快挙達成だったのだ。
プロ野球史上初の2000安打達成者は“打撃の神様”と呼ばれた川上哲治(巨人)である。1956年5月31日の中日戦で達成した。
「ボールが止まって見える」という名言で知られる川上でも、現役時代は重圧による不眠症に苦しめられた。
<不眠症になったのは、結局、打撃のことを考えすぎたからだろう。打ちたいから、ふとんにはいっても、あれこれ考える。そのうちに、頭が妙にさえてくる。当時はデーゲームだったから、寝ないとだめだと思って睡眠薬を飲む。一錠飲むと同時に、すぐ効き目があって眠れた。
あとは癖になって、飲まなければ眠れないという心理状態に追い込まれて、ずるずると十年間も飲み続けたのである>(『私の履歴書――プロ野球伝説の名将』日経ビジネス文庫)
川上が睡眠薬から解放されたのは、現役を退いてからだった。
浅村にも、人には言えない苦しみがあったに違いない。
特筆すべきは浅村の2000安打達成時の打率である。2割7分7厘。過去にホームラン王と打点王を2度ずつ獲得しながら、右打者でのこの打率は誇れるものだ。
参考までに述べれば、通算2000安打以上をマークした右打者の中で、3割を上回る打率を残したのは、落合博満(3割1分1厘)、長嶋茂雄(3割5厘)、和田一浩(3割3厘)、内川聖一(3割2厘)、アレックス・ラミレス(3割1厘)の5人しかいない。それに比べれば見劣りするが、近年の“投高打低”を考えれば大健闘である。
<この原稿は2025年6月16日号『週刊大衆』に掲載されたものです>
