衝撃的な告白だ。暴露といってもいいだろう。
 中日がリーグ優勝を果たした翌日のスポニチ紙(10月19日付)に落合博満監督と信子夫人の対談が掲載された。

博満 全ては……。まぁこの際だから、言っちゃうけども“オレらが勝ってもらっちゃ困る”と思っていた球団幹部が、9月の巨人戦でウチが負けた時にガッツポーズしてからなんだ。全てはそこから始まった。
信子 そうなんだよね。みんなそれで逆にやる気を出したじゃない。
博満 そういう噂はすぐに広がるからな。選手は“なんだオレら勝っちゃいけないのかよ。何のためにやってきたんだよ”となる。“オレらをバカにすんなよ”ってのが一番の火付け役になった。そこに9月22日の(退任)発表が重なったんだ。
信子 あそこから一気に勢いがついたもんね。

 落合が口にした「球団幹部」とは坂井克彦球団社長のことと言われる。これが事実なら監督や選手はもとより、ファンに対する重大な背信行為である。
 言うまでもなく中日の親会社の中日新聞社は巨人の親会社の読売新聞社とライバル関係にある。
 これまで「優勝できなくてもいいから巨人だけには勝ってくれ」と監督に頼んだ球団社長は何人か知っているが、よりによって不倶戴天の敵の勝利にガッツポーズをするとは……。逆にいえば、大した度胸の持ち主である。
「こっちは死ぬ気でやっているのに何だと思いましたよ。“読売の回し者”とまで言いませんが、あの一件が現場の神経を逆撫でしたのは事実ですね」
 ある球団スタッフは眉を吊り上げてそう語っていた。

 オーナーや球団社長と監督との不仲は、別段、珍しい話ではない。
 しかし、それは勝ちたいがゆえの方法論を巡る対立であって、球団の幹部が敵の勝利を望み、喜んだなどという話は寡聞にして知らない。
 ユニホーム組は突然、味方に後ろから銃口を突きつけられた気分だったのではないか。
 一方で、こんな穿った見方もある。
「MVPは坂井社長だったと言えるかもしれない。あの一件で監督、コーチ、選手たちは“社長を見返してやりたい”の思いでまとまった。それが終盤の快進撃につながったとすれば、坂井社長は“陰の功労者”ですよ」
 ある球団関係者は皮肉まじりに、そう語った。

 それにしても、中日の優勝は異例尽くしだった。わけてもチーム打率2割2分8厘は全12球団最低。4分の3世紀の歴史を誇るプロ野球において、最低のチーム打率に終わったチームが優勝したのは初めてのことである。
 一方、チーム防御率の2.46はリーグトップだ。改めて「野球は投手力」という言葉を思い出した。3冠王3度の大打者が“守りのチーム”をつくったのは奇異に映るが、現役時代から落合は“守り重視”をほのめかせていた。

<勝負ごとは、勝たなければ意味がないという原則にあてはめると、打ち勝つ野球には、限界があると思う。
 つまり、長いペナントレースを戦い抜くことができない、優勝は難しいということである。
 仮に私が監督になったら、点をやらない野球を目指す。守りで攻撃するチームづくりに取り組むだろう。
 ひとりで一点取れるようなバッターとは、勝負させない。彼をフォアボールで歩かせて、次のバッターでダブルプレーを狙わせる教育を徹底させる。
 どこのチームにも、きちんと型にはまったバッターがいる。こうした打者は、このボールをほうると、ここに打ってくるというのが決まっている。
 型にはまったバッターさえ見抜ければ、アウトが確実にひとつ取れる。ダブルプレーを取ることもたやすくなるはずだ。
 守りで攻撃ができるのである。私が監督ならば、こんなチームをつくってみたい。>(自著『勝負の方程式』小学館より)

 この本は落合がFA権を行使して中日から巨人に移籍した1994年に上梓したものだが、現在の落合野球を見れば“予言の書”とでも言うべき内容になっている。
 クライマックスシリーズにおいても落合は石橋を叩くような采配を見せるだろう。
 打撃の名人が「打ち勝つ野球には限界がある」と打撃を否定するパラドクス。なぜ、そう思うようになったのか。ぜひとも聞いてみたい。

<この原稿は2011年11月18日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

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