釜本邦茂さんが語ってくれた恩師とビールの思い出
サッカー日本代表で歴代最多の75得点を誇る〝不世出のストライカー〟釜本邦茂さんが8月10日、肺炎のため亡くなった。81歳だった。
釜本さんと言えば、やはり1968年メキシコシティオリンピック。大会得点王となる7ゴールを挙げる活躍で、銅メダル獲得に貢献した。
2021年にJFA100周年を記念した復刻の「サッカー日本代表アニバーサリーユニフォーム」企画でインタビューをする機会があった。準決勝でハンガリー代表に0-5と大敗を喫し、釜本さんも活躍できなかった。わずか中1日で地元メキシコ代表との3位決定戦に向けて、気持ちを切り替えなければならなかった。奮い立たせてくれたのが恩師デットマール・クラマーさんの言葉だったという。
「3位決定戦の前に、ビールを一杯飲ませてくれたんですよね。そして『銅メダルを持って日本に帰るか、それとも手ぶらで帰るか、どっちがいい?』と。そりゃあメダルだよなって、
士気が高まった感じがありましたね」
乾いた喉を潤した一杯のビールがやたらとうまかった。奮起した釜本はメキシコを相手に2ゴールを奪う活躍でチームを勝利に導いた。メキシコのメダル獲得を目にしようと10万人以上の観客が詰めかけた完全アウェイのなかでの勝利は「アステカの奇跡」と称されることになる。
西ドイツユース代表監督時代にあのフランツ・ベッケンバウアーを育てたクラマーさんはドイツから1960年に来日し、日本代表コーチに就任。基礎もままならなかった選手たちに対して深い愛情を持って接した。ベスト8まで進んだ1964年の東京オリンピック後に日本を離れたが、FIFA(国際サッカー連盟)のスタッフとしてメキシコを訪れて日本代表のサポートをしていた。
釜本さんが京都・山城高校時代の1961年に、関西選抜の講習会に呼ばれて初対面を果たした。そのときの記憶は鮮明だった。
「大学生と社会人が対象で、高校生は僕を含めて5人くらいしかいなかった。ボールに空気を入れたり、ゴールネットを張ったり、そういうお手伝いするために呼ばれただけだと思っていたんですよ。ボールリフティングなんてやったことのない時代。クラマーさんが実践してくれて、凄いなって思いましたよ。周りを見ろとか、前もってプレーを考えておけとか、サッカーに必要なことを教えてくれて、とても勉強になりましたね」
ボールを蹴る、止める、走る、動く。基本、基礎を徹底的に叩き込まれ、一つひとつ教えを胸に刻んでいく。
『正確なパスを送るには、ボールが当たる部分を固定しなさい』
『ボールを止めるときは、ボールスピードを落とすために当たる部分を軽く引きなさい』
19歳でA代表入りし、エースストライカーとして成長していく。ただ薫陶を受けたのはピッチ内のことだけではなかった。
釜本さんは言った。
「あれはいつだったかな。日本代表のドイツ遠征で試合後のレセプションで乾杯となったときに、喉も乾いていたからビールを一気に飲み干したんです。そうしたらレセプションの最中にクラマーさんが『キミたちこっちへ来い。試合をして疲れている内臓に、冷たい飲みものを一気に流し込んじゃダメだ』と。要は常にコンディションのことを考えろ、と彼は言いたかった」
ピッチ外の積み重ねが、ピッチ内でのパフォーマンスにあらわれることを学んだ。言いつけをすべて守ったわけではないが、頭の片隅にいつも置いていた。ドイツ留学においてもクラマーさんが尽力してくれた。“日本サッカーの父”の存在なくして、“不世出のストライカー”の誕生はなかった。
クラマーさんは2015年9月、90歳で天国に旅立った。今ごろ再会してサッカー談義に話を咲かせているだろうか。