※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。


 競技専念へ退社

「五輪にどうしても出たい。勝負したい」
 その一心で所属していた会社を辞めてしまったアスリートがいる。崎本智子、29歳。トライアスロンでロンドン五輪出場を狙っている。大学卒業後、この競技に取り組んで7年。退職前の2010年秋には日本選手権で初優勝を収めていた。

 会社ではトライアスロン部に所属し、シーズン中は1、2時間程度の業務を終えればトレーニングができた。決して競技に打ち込むには悪い環境ではない。着実に階段を上がっていたように見えた崎本は、なぜ、いばらの道を選んだのか。
「五輪に出るためにはこのままではいけない。トライアスロンに専念したいと思ったんです」
 
 とはいえ、会社を辞めれば収入はゼロになる。世界を舞台にするトライアスロンは遠征も多く、出費はかさむ。指導してくれるコーチもいない。五輪を目前にしたアスリートにとってはリスクが大きすぎる決断だった。
「でもサポート体制が整っているか整っていないかなんて気にならなかったですね。それよりも自分の気持ちを大事にしたかった」
 五輪は小さい頃からの夢だった。2歳から泳ぎ始め、大阪の枚方スイミングスクールに所属。スクールの先輩にアテネ五輪200mバタフライ銅メダリストの中西悠子がいた。

「五輪に対する思いや、その準備を間近で見てきたので、自然と“私も五輪に出てみたい”という気持ちになっていました」
 競泳でトップスイマーになる目標こそ叶わなかったが、トライアスロンに転向し、北京五輪ではあと一歩のところで代表入りを逃した。それだけにロンドン行きの切符は何が何でもこの手で掴みたかった。

 覚悟を決めた崎本を支えたのは家族だ。父は資金面で援助をしてくれた。母は崎本が練習拠点にしている愛媛に移り住み、身の回りの世話をした。そして大学時代まで長距離ランナーだった1歳下の弟が仕事を辞めてコーチ役を引き受けた。まさに“チーム崎本”で家族がひとつになり、五輪へ挑む体制を整えてくれたのだ。

 目標は金メダル

「フリーで五輪を目指すにあたって、大変なことを考え出したらたくさんあります。でも、それでもやっていくという強い気持ちが私にはある。だから金銭的に苦しかったら、現状を話して応援してくれる人たちを探せばいい。困難に直面しても、自分が頑張れば道が開けてくる。だから、今は決断をして良かったとしか思っていません」

 トライアスロンを始めた当時も、いわゆる“フリーター生活”だった。小さい頃から通っていた枚方スイミングスクールで練習の傍ら、コーチや監視のアルバイトをした。休日にはお酒の運搬などの力仕事をした。交通費を浮かすため、バイト先まではバイクの練習も兼ねて自転車で通った。身長156センチと小柄ながら、どんな状況でも前を向けるたくましさが崎本には備わっている。

 そんな崎本が『マルハンワールドチャレンジャーズ』の開催を知ったのは、トライアスロン協会から来たメールだ。エントリー期間(昨年8〜10月)はロンドン五輪の代表を目指すうえで重要な世界選手権シリーズが続くタイミングだったが、締め切りギリギリで書類を提出した。
「トレーニングの合間にパソコンの前で何日もウンウン言いながら書き上げました」

 書類審査通過の連絡が入り、最終オーディションへ。審査員やメディアの前でプレゼンテーションを行うのは日本選手権の10日後だった。大会に向けた大事な時期を使って、朝の4時まで内容を練った。
「家族からは“選手としてサポートしてもらう企画なんだから、体のことを一番に考えなアカン”と叱られましたね(笑)」
 プレゼンテーションでは開き直って、ありのままの自分を表現した。トライアスロンの魅力を語り、「ロンドン五輪での金メダル」と大きな目標を掲げた。審査の結果、100万円の協賛金が贈られた。

「うれしかったですね。やってきたことがムダにはならないんだと改めて思いました」
 安定は得てして平凡しか生み出さない。波乱万丈こそが非凡を生み出す。五輪までは、あと5カ月。ハイリスクに思えたチャレンジは夢を現実へと変えるのか。選んだ道が正しかったことをロンドンの地で証明してみせる。

(後編は3月21日(水)に更新します) 

崎本智子(さきもと・ともこ)プロフィール>
1983年1月28日、大阪府生まれ。愛媛県トライアスロン協会所属。小学4年から本格的に競泳を始め、大阪信愛女学院時代は自由形でインターハイ出場。福岡大では1年時にインカレの400メートル個人メドレーで5位入賞を果たす。大学卒業後、トライアスロンに転向。08年の北京五輪は代表補欠だったが、09年のアジア選手権で優勝。10年の日本選手権も初制覇を果たした。昨年は世界選手権シリーズシドニー大会で5位入賞。所属していた会社を退社し、五輪出場を狙う。昨年10月の第1回『マルハンワールドチャレンジャーズ』では最終オーディションに残り、協賛金100万円を獲得。身長156センチ。



(石田洋之)
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