桜の開花宣言が東日本に届くより早く、Jリーグでは2人の監督が更迭された。開幕からまだ1カ月も経っていないことを考えると、異例の早さだと言っていい。
 発足当時のJリーグは、欧米に比べると監督に対するプレッシャーの少ないリーグだった。マスコミが公然と批判をすることはほとんどなく、ファンの中にも“監督批判=タブー”的な空気があった。親会社から出向してきただけのフロントには、監督の善し悪しを判断する基準もなかった。シーズンを全うする監督の割合は、間違いなく欧米よりも高かったように思う。
 だが、20年の歳月を経たJリーグは、むしろ欧米よりも早い段階で監督更迭を決断するリーグとなりつつある。一概にいいこと、悪いこと、とは思わないが、ただ、こうなった原因のひとつに、日本サッカー界の歪みがあるのは間違いないとも思う。

 ドルトムント香川の例をあげるまでもなく、日本人プレーヤーのレベルと評価はいよいよ世界水準に近づきつつある。10年前の少年たちが、中田英寿を見て「世界で戦う日本人」に憧れたのだとしたら、いまの少年たちはそれよりももう少し上のステージ、つまり「世界のトップを狙う日本人」を夢見ることができる。スケールアップした目標は、いずれスケールアップした才能を生み出すことにもなろう。

 だが、選手たちほどに評価と環境が変わってきていないのが、監督である。選手たちが次々と欧州に羽ばたいていく一方で、同じルートをたどった日本人監督はまだ一人も生まれていない。言葉の問題等、いろいろな障壁はあるのだろうが、世界の頂点に向けて一直線、といった感のある選手たちに比べると、足踏み感があるのは否めない。

 とはいえ、中国リーグに元日本代表監督が2人もいるように、圧倒的に輸入超過だった監督業の世界でも、少しずつ変化の兆しはでてきている。選手よりははるかに、そして監督よりもかなり長く足踏みを続けてしまっているのは、本来はチーム運営の頭脳たるフロント、ではないか。

 野球に比べるとプレーの数値化が難しいサッカーでは、ブラッド・ピットが演じるようなGMが出てきにくいというのはわかる。だが、親会社からの出向がほとんどだった20年前と比べても、監督や選手選びの基準、チーム作りの方向性などで驚かせてくれるクラブはほとんどない。早すぎる監督更迭は、彼らのクビを切る立場の人間にも問題があったことを示している。

<この原稿は12年3月29日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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