近年、ものづくりの分野で注目されている概念に「ネイチャーテクノロジー」がある。東北大学の石田秀輝教授が提唱した概念で、自然や生き物が備えている高度、かつ環境にやさしい機能を研究することで、科学技術の世界にそれを応用しようという試みだ。山本化学工業も、今後、この「ネイチャーテクノロジー」を活用しようと考えている。

 ネイチャーテクロジーを語る上で、よく取り上げられるのは蜘蛛の糸である。蜘蛛が自らの体を支えるために吐きだす糸は強度が極めて高い。鉄と同程度の強さを有するとされているが、重量ははるかに鉄より軽い。この蜘蛛の糸のテクノロジーを応用すれば、軽くて強い素材ができるのではないかという発想に到達する。これがネイチャーテクノロジーの考え方だ。

「しかも蜘蛛は体を支える際に糸を2本吐いているそうです。1本の糸でも充分、体を支えられるのですが、2本吐くことで安全性を高めている。これは進化の過程で自然と身につけた智恵でしょうね。昨年の原発事故では“想定外”という言葉が言い訳のように使われましたが、自然界の生き物は人間よりも優れたリスクマネジメントをしているんです」
 山本富造社長はそう語る。

 このネイチャーテクノロジーをスポーツの分野にも応用できるのではないかと山本社長は感じている。
「たとえば泳ぐという行為ひとつとっても、魚やカエルといった水中の生き物と人間は体のつくりが違う。だから参考にならないというのがこれまでの考え方でした。確かに人間には魚のような背びれや胸びれはありません。でも、水中で安定姿勢をとる上での根本的な体の動かし方は人間にも学ぶところが出てくるかもしれません」

 確かに競泳の技術には魚の泳ぎ方を取り入れたものは少なくない。たとえばドルフィンキック。両足を同時に上下させ、足の甲で水を蹴る泳法は、その名の通り、イルカの泳ぎを模している。

 学ぶは「真似ぶ」という言葉が元になっている。つまり、学習は真似から始まるというわけだ。自然のなかで水中を速く泳ぐ生き物の動きを真似をすれば、より優れた泳ぎができるかもしれない。
「魚のひれの位置や角度だって、意味もなくついているわけではないでしょう。あの位置や角度が最も泳ぐのに合理的なわけです。そうやって魚が進化して生き残ってきたと考えれば、人間が泳ぐ際の腕の角度や、補助具のあり方について参考になる面もあるのではないでしょうか」

 科学技術の進歩はスポーツの発展に大きく貢献した。より速く、より高く、より遠くという人間の願いを叶えるには、どのように体をつくり、動かせばよいか。今や体の構造や動きをコンピュータで解析することで、答えを提示してくれる時代になった。だが、それによって失われたものもあるのではないかと山本社長は語る。

「分析する専門家と選手とが分業体制になってしまったことで、専門的な分析による見解と選手のイメージとのミスマッチが生じています。選手個々でニーズ、求めているものは違いますからね。マニュアル化、画一化された分析ではなく、選手個々のイメージや発想に直接訴えかけるものも求められている気がします」

 たとえば野球の野茂英雄のトルネード投法、イチローの振り子打法にしろ、世に出たばかりの頃は球界の常識では考えられないフォームと言われた。もし、彼らが“合理的”と呼ばれるフォームに最初から矯正されていたら、メジャーリーガー野茂の誕生も、イチローのMLBシーズン最多安打記録の更新もなかったに違いない。異端を切り捨てたところからは、飛躍的な進歩は生まれないのだ。

 もちろん、今後もスポーツテクノロジーの分野は年々、進化を遂げるだろう。山本社長も、それを完全否定する立場ではない。とはいえグローバル化し、情報化した現代社会において、新しい発見は瞬く間に全世界に広がる。どんなに素晴らしいテクノロジーも、もはや長期間に渡るアドバンテージとはならない。結局、最終的に勝者と敗者を分けるのは、アスリート自身の独自の発想や感覚といった要素に委ねられる。そういった部分を刺激するひとつの方法論が、自然の動きに学ぶネイチャーテクノロジーというわけだ。

 山本社長がこのネイチャーテクノロジーを重視し始めたのは、数年前に世間をにぎわせた“高速水着”を巡る論争に対するアンチテーゼの意味も込められている。
「あの時は水着の性能や素材ばかりが取り上げられて、肝心な人間に目が向いていなかったように感じます。確かに水着も大切な要素かもしれませんが、そもそも人間がどう泳げば速くなるかという点も追求すべきだったのではないでしょうか。人間の動きを改めて見直すことで、もっと速く泳げる方法が見つかるかもしれません。その上で最先端の水着を着用することが相乗効果につながるのではないかと考えます」

 同じものでも見る角度を変えれば、違った面が見えてくる。発想の転換によって、より人間の可能性は広がるのではないか。それがスポーツ界の発展につながる新たな起爆剤になるかもしれない――そう山本社長は考えている。


 山本化学工業株式会社