「髪切りマッチ」で味わった“殉教者”の心情 ~長与千種氏インタビュー~
1980年代、ライオネス飛鳥さんと「クラッシュ・ギャルズ」を結成し、女子プロレスブームを巻き起こした長与千種さん。その壮絶なプロレス人生を、当HP編集長・二宮清純とともに振り返る。
※インタビューはMarvelous道場にて収録

二宮清純: 昨年、Netflixでドラマ『極悪女王』が配信され、好評を博しています。ダンプ松本さん(ゆりやんレトリィバァ)を中心に、長与さん(唐田えりか)やライオネス飛鳥さん(剛力彩芽)など、当時の女子プロレスブームを牽引した選手たちを描いた作品で、長与さんも「プロレススーパーバイザー」として制作に関わっています。最初、長与さんにはどのような依頼があったのでしょうか。
長与千種: 俳優さんたちがプロレスをやっても大丈夫な状態まで持っていってくれないかということと、当時を知る者としてドラマの監修をしてほしいという話でした。俳優さんたちは次の仕事もあるわけで、まずはケガをさせないことが大前提。ただ、痛みを伴わないプロレスはありえないので、その中でどこまで彼女たちがやれるのか、正直、不安も大きかった。結局、それは杞憂に終わったわけですが……。
二宮: 私も作品を見て、「俳優がここまでやるのか」と驚きました。
長与: 彼女たちは本当によく頑張りました。実際にこの道場でトレーニングを行ったのですが、体重を増やし、うちの選手たちの指導の下でプロレスの基本となる受け身を習得し、さらにモデルとなる選手たちが使っていた技までマスターした。
二宮: フライングニールキックやジャイアントスイングなど、本物のプロレスラーの技を見ているようでしたね。
長与: 多分、本物のプロレスラーにも通用すると思います。彼女たちを見ていて、「役者魂というのはこういうものか」と思い知らされました。
二宮: 完成した作品を見てどうでしたか。
長与: コスチュームなど細かな部分から昭和という時代背景まで、当時の様子がよく再現されているなと。私は過去を振り返らないタイプなのですが、つい「この時、こうしておけばよかったなあ」なんて考えてしまい、複雑な心境にもなりました(苦笑)。
二宮: 長与さんご自身についてお聞きします。お父さんは競艇選手だったそうですね。
長与: そうです。元は漁師だったのですが、地元・大村(長崎県)で日本初の競艇が開催されることになり、声が掛かったみたいです。
二宮: ボートレーサーの草分けの一人だとか。賞金もだいぶ稼がれたのでは?
長与: どのくらい稼いでいたかは分かりませんが、飲食店など複数のお店を経営していたこともあって、暮らしに不自由を感じたことはありませんでした。でも、それが10歳の時に一変して……。
二宮: その後は相当ご苦労されたようですね。
長与: 父が、ある友人の借金の保証人になったのですが、その人が逃げてしまって億単位の借金を背負うことになったんです。お店はもちろん、家も家財道具もすべて失い、両親は関西に出稼ぎに。姉もすでに働きに出ていたので、残された私と弟は親戚の家に預けられ、文字通りの一家離散となりました。
二宮: 多感な時期ですから、つらいことも多かったのでは?
長与: もう思い出したくもないくらい、しんどかった。例えば、父が仕送りをしてくれていたのですが、親戚から「あんたは食べ過ぎるから、こんな仕送りじゃ足りない」と嫌みを言われたりして、本当に切なくて、みじめな生活でした。結局、4年間で5回親戚の家を転々としましたね。
二宮: そんな状況では学校に通うのも大変だったでしょう。
長与: はい。テレビも自由に見られないし、お小遣いもない。だから、クラスメートの話題にもついていけず、半ば引きこもりのような状態になりました。
二宮: 聞いているだけで胸が痛みます。その後は?
長与: 私の状況を見かねた親戚が父に連絡を入れ、中学2年の冬に父が大村に戻ってきました。それで「母に会いにいこう」ということになり、父と一緒に母のいる神戸に向かいました。母はバーで働いていて、私が行った時には帰り際のお客さんに深々と頭を下げていた。その姿を見たらもう涙が止まらなくて。それで母の住むアパートで仕事が終わるのを待っていたのですが、そこもボロボロの部屋でした。そして母は帰ってくるなり、泣きながら私を抱きしめてくれて、その後、3人で食事をしました。
二宮: その時の長与さんの心境は?
長与: 「私は何をやっているんだ」って。もう両親に心配をかけないと心に決めて、大村に帰りました。父にも仕事に戻ってもらい、父の妹夫婦の家から中学校に通いました。
二宮: この時も空手はやっていたんですよね?
長与: 学校に行けなかった間も空手だけはやっていました。それに中学2年の時に女子ソフトボール部ができて、その部活動も楽しかった。空手とソフトがあったおかげで、人生を踏み外さずに済んだと思っています。
二宮: 大村市内の中学を卒業してプロレスの道に進むわけですが、プロレスラーになろうと思ったのはなぜ?
長与: 両親にお金の面倒はかけたくなかったし、すぐに稼ぎたいと思っていたところに、雑誌で女子プロレスラー募集の広告を見たんです。多少なりとも武道の心得があったし、「ビューティ・ペア」へのちょっとした憧れもあって、プロレスラーになろうと決めました。
(詳しいインタビューは12月1日発売の『第三文明』2026年1月号をぜひご覧ください)
<長与千種(ながよ・ちぐさ)プロフィール>
1964年12月8日、長崎県大村市出身。競艇選手として財を成した父の下で何不自由なく育ったが、小学5年の時に父の保証倒れなどの影響で一家は離散。親戚の家を転々とする中で、小学4年から始めた空手と中学2年から始めたソフトボールに勤しむ。中学卒業後に上京し、全日本女子プロレスに入門。80年8月にデビュー(対大森ゆかり戦)。84年8月に同期のライオネス飛鳥と「クラッシュ・ギャルズ」を結成。リング上での歌唱やダンプ松本率いる極悪同盟との熾烈な抗争など、「ビューティ・ペア」以来の女子プロレスブームを巻き起こす。89年に突如引退を表明し、タレント活動などを行うも93年11月に現役復帰。94年8月に「GAEA JAPAN」を設立。2005年4月の同団体解散とともに再び引退。14年3月に「Marvelous」を設立し、現在は同団体の代表として興業のプロデュースや選手の育成に力を注ぐ。WWWA世界シングル王座、同タッグ王座などタイトル歴多数。