南野“悲報”の扱い 反応の薄さに見た日本の進化
左膝前十字靭帯断裂。全治8カ月から10カ月。報道が事実であれば、来年のW杯本大会出場は絶望的である。日本にとって、悲報というしかない。
だから、驚いた。
これまで南野は日本代表として73試合に出場し、26得点を挙げている。1試合平均に直すと.356。これは韓国の絶対的エース、孫興民(ソンフンミン)の0.384と比べても、ほぼ遜色のない数字である。
もし南野を襲った災厄が孫興民に降りかかっていたら、韓国は大変な騒ぎになっていたに違いない。中田英寿が、本田圭佑がW杯に出場できなくなった、なんて事態が起きていたら、と想像してみればいい。
そう考えると、騒ぎがいささか小さすぎる気がしてくる。
ネガティブに考えれば、日本におけるサッカーの注目度がまだまだ低いからだ、と捉えることもできる。もし大谷が、山本がWBCに出場できなくなったりしたら、全メディアがトップニュースとして報じるはず。それが、世界の頂点を明確に視野に入れた国の姿だとわたしは思う。野球にはあって、サッカーにはまだないもの、といってもいい。
トップチームの実力はともかく、現状の日本が、過去にW杯を制した国々のサッカー熱に比べ、お話にならないレベルにあるのは事実。ただ、南野の“悲報”がずいぶんと小さな扱いしか受けなかった理由は、たぶん、それだけではない。
南野は日本代表に必要な選手か? 当然! 奇跡的な回復を期待する? 熱烈に!
では、復帰がかなわなかった場合、日本代表は大ピンチに陥るのか?
ケガをしたのがかつての中田英寿だったら、本田圭佑だったら、答えは一も二なくイエスだった。だが、中田よりはるかに多く、本田とほぼ同じペースで日本代表のために得点を量産してきた南野の復帰がかなわなかったとしても、日本代表が危機的状況に追い込まれたわけではない、と感じている自分がいる。
そのことに、驚いている。
いつからだろう。冨安がいなくなっても、三笘がいなくなっても、伊東がいなくなっても、守田がいなくなっても、遠藤がいなくなっても、ファンは、少なくともわたしは、嘆かなくなった。痛い、とは思うが、致命的だとは思わなくなった。誰が抜けても、誰かがしっかりと穴を埋め、いや、プラスアルファをもたらしてくれる日本代表を当たり前だと感じるようになった。
親善試合で米国に0-2と完敗したのは、たった3カ月前のことである。あのとき、わたしはメキシコ戦から大幅にメンバーを入れ替えた森保監督を批判した。いくらなんでもやりすぎ。そう思った。
だが、間違っていたのはわたしだった。あの状況で、“やりすぎ”と批判されるほどメンバーを入れ替えることのできる監督でなければ、誰が抜けても致命傷にはならないいまの日本が生まれることはなかった。
米国戦の敗北から1カ月後、史上初めてブラジルを倒したことで、森保監督のチームづくりはほぼ完成した。世界的にも例を見ない「完成形の見えないチーム」として、ほぼ完成した。
南野には帰ってきてほしい。ただ、もし彼が抜けたとしたら、必ずやその穴を埋める選手が現れる。そんな確信が広がったがゆえに、“悲報”の扱いは小さかったとわたしは見る。見たい。
<この原稿は25年12月25日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>