才能生む静岡の土壌が広がり北海道で花咲かす
乾貴士が清水を去ることが決まった。嘆くことしきりだった静岡県出身の知人を見て、いささか感慨深い気持ちにさせられた。
いわゆる“オリジナル10”によって発足したJリーグにおいて、清水のチームづくりは他と一線を画していた。他チームが全国から才能をかき集める中、彼らだけはとことん地元出身の選手にこだわったのである。
実際、開幕当時の登録メンバーを調べてみると、静岡県以外の出身者は2人だけで、そのうちの一人は東海大一(現東海大静岡翔洋)の出身。静岡と縁もゆかりもなかったのは、控えGKのただ一人だった。
なぜこんなことが可能だったのか。当時の静岡が、突出した“才能の産地”だったから、だった。あと一歩でW杯行きを逃したオフト率いる日本代表では、静岡県出身者が9人。W杯フランス大会の際は22人中10人が静岡の高校を卒業していた。
だが、時代の経過とともに日本代表における静岡県出身者の数は減少していき、3年前のW杯カタール大会では伊藤洋輝のみとなった。
静岡が地盤沈下した原因ははっきりしている。彼らが下がったのではなく、周囲が上がったのである。この地域でのみ可能だった若年層からの育成と教育が全国に広がったことで、彼らの優位性は失われた。清水も静岡県出身者にこだわってばかりもいられなくなり、滋賀県出身の乾の流出をファンが嘆く、という時代になっていった。
清水を愛する方々にとって、あまり喜ばしい話ではないことは間違いない。ただ、静岡にしかなかった土壌が全国に広がったことで、日本サッカーの国際競争力は飛躍的に向上した。極論すればこの地域にしか存在しなかった群雄割拠、切磋琢磨という状況が各地に生まれたことで、かつては不毛とされた地域からも日の丸をつける選手が生まれるようになった。
強くなったとはいえ、日本代表が世界の頂点に立ったわけではなく、また、社会におけるサッカーの浸透具合からすると、改善、向上の余地は山ほどある。依然としてサッカー熱では国内屈指の高さを誇る静岡には、もう一度、日本の中心地に返り咲くための道を模索してもらいたい。
もう一つ、復活というか、今後期待したいのは北海道の台頭である。
静岡ほどではないものの、かつての北海道、特に室蘭からは独特の感覚を持った選手が出現していた。財前恵一、野田知、京谷和幸――近年ではサウサンプトンでプレーする松木玖生が室蘭の出身である。
ただ、北海道の子供たちが、レベルの高いサッカーを体験、体感するのは簡単なことではない。松木も、中学校に進む際には室蘭を離れた。
だが、来年以降は潮目が変わるかもしれない。Jリーグのシーズン移行が、北海道のサッカーに慈雨となるかもしれない。
十数年前から、Jリーグの複数のチームが開幕前に沖縄でキャンプを行うようになった。ほぼサッカー不毛の地に近かった沖縄から、年代別の日の丸をつける選手が出てきた。ならば、夏合宿の候補地として最右翼とされる北海道は――。
スポーツの才能は、環境が育てるものでもある。プロ野球やJリーグのチームが合宿地に選んだことで、沖縄の子供たちはトップのレベルを体感できるようになった。施設のレベルも飛躍的に向上した。十数年前、北海道出身の日本代表選手が活躍することを、わたしは半ば確信している。
<この原稿は25年12月18日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>