「パラリンピックに出る人たちって、こんなに速く泳ぐのか……。怪物みたいな人たちだな」
 初めて代表合宿に参加した中学2年の木村敬一は、大きな衝撃を受けていた。アテネパラリンピックを控えていた当時、合宿には日本における視覚障害者競泳の第一人者で、1996年アトランタ、2000年シドニーで連続2冠に輝いた河合純一や、数カ月後のアテネで初出場ながら銀メダルを獲得した秋山里奈など、世界で活躍する選手たちが参加していた。
「『この選手たちはパラリンピックを目指しているんだよ』と聞いて、初めてパラリンピックという世界の舞台があることを知ったんです。一緒に練習していて、河合さんたちがどれくらい速いかはわかりましたから、とてもじゃないけど、自分にはパラリンピックは無理だと思いました」
 4年後、自分が “怪物”と同じ舞台の上に立つとは、14歳の少年は予想だにしていなかった。
 翌年、中学3年で初めての海外遠征となる世界ユース選手権大会にチーム最年少で出場した木村は、50メートル自由形で自己ベストを更新し優勝。さらに100メートル自由形では銀メダル、100メートル平泳ぎでは銅メダルを獲得した。将来を有望視されながら、当時の木村は、代表というプレッシャーを全く感じてはいなかった。期待を膨らます周囲とは裏腹に、彼自身はパラリンピックを狙えるとは全く思っておらず、ただ、タイムが更新されていくことを楽しんでいただけだった。そのため、初の海外遠征は彼にとって「楽しい思い出」に過ぎなかった。

 分厚い“世界の壁”

 そんな木村が初めて“世界の壁”を感じたのは、高校1年の時に出場したマレーシアでのフェスピック競技大会(現アジアパラ競技大会)だった。平泳ぎ100メートルのレース、往路の50メートルを泳いでいた木村に衝撃が走った。隣のコースから大きな波が押し寄せてきたのだ。

「えっ!? まさか……」
 自分自身は50メートルのターンまでにはまだ距離があるはずだというのに、隣のコースを泳いでいたタイの選手が既にターンをして返ってきていたのだ。木村を襲った大波は、その選手とすれ違った際のものだった。
「初めてレースの途中で諦めの気持ちになりましたよ。どれだけ大差がついているか、わかりましたからね。もう『勝てるわけないじゃん』って(笑)」
 そのレースで木村は3位に入り、銅メダルを獲得した。だが、優勝したタイの選手とは、10秒もの差が開いていた。木村にとって、世界はあまりにも遠かった。

 だが、その2年後、木村はリベンジを果たす。北京パラリンピックを4カ月後に控えた2008年5月、英国で行なわれたワールドカップで再びタイの選手とレースを共にした木村は、彼を上回るタイムでゴールした。
「ワールドカップの時には、北京パラリンピックの出場も決まっていましたし、既にフェスピックの時の優勝タイムくらいは出せるようになっていたので、『もう、あんな負け方はしないだろう。今の自分なら、この人といい勝負ができるんじゃないか』って思っていました。でも、いつも以上に緊張してしまって、ご飯ものどを通らなかったんです(笑)。勝つことができて感慨深かったですね。ようやく追いついたと思いました。フェスピックでの衝撃が忘れられなくて、それからの2年間はずっと、そのタイの選手のことばかり考えて泳いでいましたから」
 メダルを獲得することはできなかったが、木村はひとつの壁を越えたような気がした。だが、4カ月後、木村は再び“世界の壁”の高さに衝撃を受けることになる。

 同年9月6日、北京パラリンピックが開幕した。木村は100メートル平泳ぎ、100メートルバタフライ、400メートル自由形、100メートル自由形、50メートル自由形の5種目に出場した。なかでも当時、メインとしていたのが100メートル平泳ぎだった。結果は5位。全競技を通して日本人選手最年少、17歳で初出場ということを考えれば、大健闘と言っていい成績である。

 だが、木村は金メダリストとの5秒という差に大きなショックを受けていた。
「当時、平泳ぎは最も得意としていて、メダルを獲りたいと思っていました。それなのに、5秒もの差をつけられたんです。これはもう追いつくのは無理だろう、と思いました。一番練習時間を費やした種目だっただけに、これ以上、どう頑張ったらいいんだろう、って思ったんです」
 改めて世界レベルの高さを痛感した木村。北京では“怪物”の仲間入りをすることはできなかった。

木村敬一(きむら・けいいち)
1990年9月11日、滋賀県生まれ。増殖性硝子体網膜症で2歳の時に全盲となる。小学4年から水泳を始め、単身上京した筑波大学付属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)で水泳部に所属。中学3年時に出場した世界ユース選手権大会で金、銀、銅と3個のメダルを獲得し、2007年の日本身体障害者水泳選手権では平泳ぎ100メートルで日本記録をマークして優勝。高校3年時に臨んだ08年北京パラリンピックでは5種目に出場し、100メートル平泳ぎと100メートル自由形で5位、100メートルバタフライで6位に入賞した。現在、日本大学4年。ロンドンパラリンピックでは初のメダルを狙う。

(斎藤寿子)
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