王手をかけて4度目の登板で、通算150勝に到達した。
 7月4日、本拠地・横浜スタジアムでの巨人戦で横浜DeNAの三浦大輔が史上47人目の快挙を達成した。

「ファンの皆さんがこんなに喜んでくれて良かった。横浜に残って本当に良かったです」
 プロ入り21年目の38歳。1998年の38年ぶりのリーグ優勝、日本一を経験した主力メンバーで、今もチームに残っているのは彼ひとり。気が付くと、生え抜き最年長になっていた。

 自身も残留か移籍かで揺れた時期があった。FA権を再取得して2年目(08年)のオフ、子供の頃から憧れていた阪神に移籍するか、育ててもらった横浜に残るかで悩みに悩んだ。
 悩んだ末に三浦が下した結論は、FA権を行使しての横浜との再契約。残留を選んだ理由はこうだった。
「考えてみれば僕は“強いところには負けたくない”という一心で野球をやってきた。高田商(奈良)を選んだのもそうです。“天理には負けへん”と。
 プロに入ってからも巨人や阪神を倒して優勝したいとずっと思ってきた。それが自分の原点や、と確認できた時に進むべき道が見えたという感じでした」

 谷繁元信(中日)、相川亮二(東京ヤクルト)、内川聖一(福岡ソフトバンク)、村田修一(巨人)とFA権を行使して横浜を出て行く選手はあとを絶たない。
 プロ野球選手の全盛期は決して長くはない。脂が乗っている時に1回でも多く優勝を経験したいと考えるのは至極、当然である。
 加えて横浜の場合、2000年代に入って、もう2回も身売りを余儀なくされている。親会社が安定している球団でプレーしたいとの思いは、プロ野球選手に共通したものだろう。

「もう1回、優勝したい」
 三浦の優勝に懸ける思いは、誰よりも強い。ただ彼が他のプレーヤーと違うのは「横浜で」という前置きがつくことだ。
「98年の優勝は忘れられません。球場や優勝パレードには、あふれるくらいの人が来ました。頑張ってもう1回優勝して、横浜の人々に優勝の喜びを分かちあいたいんです。今は、それだけを目的に野球をやっているようなものです」

 98年、三浦はローテーション投手として25試合に登板し、12勝(7敗)を記録して優勝に貢献した。
 優勝メンバーのひとりである石井琢朗(広島)は3つ後輩の三浦を評して「アイツのいいところは粘り強さ。味方が打てなくてもエラーをしてもクサらない。どんな状況に置かれても自分を見失わずに丁寧に投げる。これは是非若いピッチャーにも見習ってもらいたいですね」と語っていた。
 その話を伝えると三浦は「粘り強いのは石井さんの方ですよ。どんなボールを投げても食らいついてくる。あれほど簡単にアウトをとれない選手はいませんよ」と苦笑を浮かべていた。

 試合後もハマスタの「番長コール」は鳴り止まなかった。ファンから愛されている何よりの証しである。

<この原稿は2012年7月29日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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