西本恵「カープの考古学」第94回<浮沈を占う3年目のシーズン編その4/“勝率2割”に苦しむ6月戦線>

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 カープの3年目のシーズンは苦戦が続いていた。勝率も2割台前半をさまよい、いっこうに上向かないまま、6月戦線も中盤を過ぎた。3連敗で迎えた6月15日の下関での大洋戦では、相手が調子の乗り切らないまずい攻めで崩れ、勝利をものにした。6月2勝目、シーズンを通じてもやっと10勝目というありさまであった。

 

 最下位をひた走るカープに戦力的な好材料がなかったのも事実であった。なんとかせねばと、ここで動き出すのはカープファンたちである。幾度の存続の危機を経験してきたファンに、なにかできないかと思考を巡らし、行動する姿が出てきていた。“カープが弱いのなら、ファンらもなんとかせねば”という思いの内容とは——。

 

<試合前には果物カゴ、記念品を贈り試合には敢闘賞、安打賞、ハリキリ賞>(「中国新聞」昭和27年6月14日)と、地元広島総合球場では、少しでもいいプレーが出るとカープ選手らに景品や、企業からの商品が渡された。プレイボール前には、酒樽に投げ入れられたお金が渡されるという、いわば“たる募金”の贈呈式も行われた。ファンらは単にカープの試合を観戦し、応援するだけではなく、なにかしなければ潰れてしまうかもという危機感で行動を続けていた。

 

 勝率2割を少し上回る成績では、現在のプロ野球なら即刻監督解任ともなりかねないが、名将・石本秀一監督をもってしても戦力的な差を采配で埋めることなど程遠かった。連日の敗戦を受け止めるだけ。そこでファンが出した妙案があった。

 

 シーズン序盤を過ぎ、中盤戦に入る。カープに追い込みをかけてもらうには、どうしたらいいのか。よしっ、監督を励まそう——という内容のものだった。

<中盤戦追込監督賞>(「中国新聞」6月14日)を贈るぞ、となったのだ。挙行日は6月12日の国鉄戦。賞の中身は<横一メートル、縦一メートル半ばかりのボール紙に拠出された100円札、10円札が70枚ばかり貼られてあり、小さなコイのぼりもついている>(同前)といった、なんとも手作り感のあふれるコイの幟旗である。連日、球団の資金不足を補うための金策に明け暮れてきた石本監督のカンフル剤になるはず、と期待を込められたものだ。

 

 ところが、前回の考古学でお伝えした6月12日の国鉄戦では、2対3と惜敗。6月15日の下関での大洋ダブルヘッダーの初戦にも、0対1と敗れた。ダブルヘッダー第二戦では、大洋の調子が上がらない側面はあったが、9対4と点差をつけてやっと勝つことはできた。カープのコイの幟旗の効果は、3試合目でようやく発揮されたというわけだ。

 

巨人恨みの球場

 石本監督も戦力不足に頭を悩ましていたところであるが、選手らも粘り強く戦う気持ちで臨んだ。ただ、この時期は梅雨の天候不良からくる、不規則な移動も強いられた。次の試合は6月22日と1週間も空いてしまい、巨人とのダブルヘッダーを迎えた。試合会場は埼玉県熊谷市の熊谷市営球場である。

 

 巨人戦が行われるとあって、超満員に膨れ上がったスタンド。鴨田宗一市長の投背広姿から胸のリボンを揺らして投じたボールには、万雷の拍手が浴びせられてプレイボール。

<巨人は一昨年夏から秋にかけ三回熊谷で戦ったが、公式戦で二回やぶれ、オープン戦で引き分けといういわば恨みの球場>(「読売新聞」昭和27年6月23日)

 

 近年、なかなか勝利に恵まれない球場であっても、巨人は今日こそはと思いを込め、かの別所毅彦を先発に立てた。対するカープの先発は笠松実。今月のカープの2勝のうち、1勝をあげている右腕に託された。この顔合わせでいうとカープの脆弱な打線ではなかなか点が挙げられないはずである。そのため、笠松が踏ん張り、1番の与那嶺要から、2番の千葉茂、3番の南村不可止、4番の川上哲治、5番の青田昇がずらりと並んだ破壊力のある巨人打線をゼロに抑えるかが見どころとなるはずである。というか、カープ打線ではそうそう点が取れまい。ならば、抑えなければ話にならない試合である。

 

 ところが——。カープは初回に安打をあびせ、幸先よく先取点をあげると、その裏、笠松実が巨人打線をゼロでしのいだことから、巨人にとって<恨みの球場>であることを証明したような立ち上がりであった。

 さらに、2回のカープも別所を攻め立てる。巨人のエラーにつけ込み、盗塁をからめるとヒットで2点目をあげた。その後も攻撃の手を緩めないカープは、無死満塁のチャンスをつくる。普段はのっけから打てないはずのカープが、巨人のお株を奪ったかのように畳み掛ける、ここで意外性のあるバッター、2番の武智修を迎えた。

 

 完全に旗色が悪くなった巨人。ここ一番に強い武智のバットは別所からのボールを捉えて、見事ショートオーバーの快打を飛ばした。

 抜けたら走者一掃するかのような強い打球であったが、巨人のショート平井三郎がジャンプ一番で、華麗にキャッチした。名手・平井のファインプレーが、球場を大歓声に包み込んだ。ジャイアンツを目覚めさせた一瞬のプレーによって、2回を1点で凌いだ別所はしり上がりにボールがよくなり、カープ打線の勢いは止んだ。

 

 先のファインプレーから平井はバットでも見せる。直後の2回裏、平井がレフトスタンドに叩き込み、反撃の狼煙をあげた。シーズン第1号。この日は乗りに乗って3安打の活躍ぶりだった。

 

 試合を決定付けたのは、3回の巨人の攻撃で与那嶺が、ライト線に好打すると、広島の岩本章のグラブにボールがおさまらず、ファンブル。その間、与那嶺が足をいかして三塁を陥れた。この勢いで、この回3点をあげて逆転に成功した。

 さらに、5回には好調な与那嶺がライト場外に消える、特大のツーランを浴びせてダメ押し。カープは笠松から、杉浦竜太郎、松山昇とつないだが、勢いの出た巨人打線をとめられず、終わってみれば2対8と完敗だった。

 

出た出た「ラッキーボール」

 さあ、こうなると巨人軍の流れになるはずのダブルヘッダー第二戦だが、カープは新人の大田垣喜夫を立てて臨んだ。投手陣にも余裕のある巨人は藤本英雄。かのスライダーを武器とする勝ち頭である。藤本を前にカープ打線は沈黙したが、なんと大田垣も踏ん張り、巨人打線を無安打でゼロ行進に抑えた。互いに一歩も引かぬ投げ合いとなり、第一戦目とは違った展開に球場のファンはじっと見守った。

 

 ただ、5回に鬼門があった。サード山川武範のエラーで、巨人に出塁を許すと、野手の大崩れにより、完璧なピッチングを見せていた大田垣も崩れていった。巨人投手の藤本が打てば、カープの野手がエラー。それまで野手の張りつめていたものが切れたように、続く与那嶺の打球にも野手が弾いてずるずると崩れていった。結果、この回一挙4点を奪われ、ほぼ勝負あり——。6回にもダメ押しの2点をくらった。カープは7回表に1点を返したものの、時すでに遅しで1対6で2連敗となった。

 

 この日のダブルヘッダー第一戦において、勝負を決したのは、平井の攻守における活躍が、過去勝てなかった球場への嫌な流れを断ち切ったのが大きかった。

 第一試合の選手らへの副賞として、第1号となるホームランを放った平井には、うどん県・埼玉での試合とあって、大量のうどん入り袋が贈られた。

 さらに副賞を手にしたのは、与那嶺だった。第一戦の5回に飛び出した場外ツーランホームラン。肝心の品物は清酒一升であった。

 

 巨人軍のみの副賞の独り占めになったが、ファンには試合の合間に、「ラッキーボール」という、景品がもらえるボールが投げ込まれたという。<清酒、ジョッキ、ネクタイの景品付き>(「読売新聞」昭和27年6月23日)であった。ネクタイを締めた仕事帰りのご主人のために、お酒をジョッキに注いで、という父の日ならではのなかなか気の利いた演出だ。このボールを見事にキャッチし、<拾った少年たち、野球を見ながら親孝行ができたと大喜び>(同前)とあったが、球場に詰めかけるのも男性が多く、働くお父さんは偉いという時代を象徴していた。いずれにせよ、熊谷市営球場のファンらは大喜びであった。

 

 ラッキーボールの多くは、球場が東京からほど近い埼玉県熊谷市ということもあり、巨人ファンが手にした。ダブルヘッダーに2連勝した巨人ファンらの帰りの足取りは軽かったことだろう。

 

 それにしても勝てないカープ——。大田垣が中盤まで巨人打線を完全に抑えるという、孤軍奮闘するシーンも見られた。ただ、この日終わった時点でカープは10勝34敗3分けで、勝率2割2分7厘。ややもすると2割を割ってしまい暴動でも起きかねない事態である。

 さまざまな景品も乱れ飛んだ。石本監督へのカンフル剤としてのコイの幟旗にも、その効果まで時間がかかり、一筋縄ではいかないカープである。

 さあ、カープの6月戦線は雲行きがすっきりしない。流れを断ち切るような勝利が見たいものである。このまま勝率2割という事態だけは避けなければならないシーズン。カープは6月25日、後楽園球場において、国鉄とのダブルヘッダーに臨む。6月の3勝目なるのか、ご期待あれ。

 

【参考文献】

「中国新聞」(昭和27年6月14、23日)、「読売新聞」(昭和27年6月23日)

 

西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>スポーツ・ノンフィクション・ライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。

 

(このコーナーのスポーツ・ノンフィクション・ライター西本恵さん回は、第3週木曜更新)

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