パラリンピック連覇に向けて、いよいよこの選手が本領を発揮し始めました。4年前の北京パラリンピック、シングルスで悲願の金メダルに輝いた車いすテニスプレーヤー・国枝慎吾選手です。国枝選手は昨年9月の全米オープンで4連覇を果たして以降、ヒジの故障に悩まされ続けてきました。今年2月には手術に踏み切り、リハビリを経て、ようやく5月のジャパンオープンで実戦復帰を果たしたばかり。ロンドンに間に合うかどうか、不安の声もあがっていましたが、今月には3大会連続優勝を達成し、本番に向けてどんどん調子を上げてきています。ロンドンで再び、センターポールに日の丸を掲げてくれることでしょう。
(写真:竹見脩吾)
 私が国枝選手の強さを最も感じたのは、2010年11月に行なわれた世界マスターズの準決勝で敗れ、07年から積み上げてきた連勝記録が107でストップした時です。その時のブログにはこう書かれていました。
<(前略)久々の敗戦なので、もちろんショックです。結構、ズッシリきています。あー、負けたか。って。ただ正直なところ、連勝を続けていくのも少し辛かった。何連勝とかこだわりは無かったけど、近年は心のどこかで「勝たなければ」という意識が働いていたようにも思います。試合も「負けない」テニスをするようになっていたというか。だから結果には表れないけど、自分の中で納得のいくプレー、やりたいプレーの割合は以前より少なくなっていた気がします。重荷が少し取れて、あー、負けたか。の後に「でもこれで良かったのかも」ってすぐに出てきました。忘れかけていた挑戦者になるときは今しかない。(後略)>

このブログを読んだ時、私は「忘れかけていた挑戦者になるときは今しかない」という言葉に、国枝選手の“覚悟”を感じました。そして今、再びその“覚悟”が国枝選手にはあるような気がしてならないのです。

 ヒジの故障後、復帰戦となった今年5月のジャパンオープンではベスト4という結果でした。さらに6月の全仏オープンでも同じ相手に決勝で敗れ、準優勝……と、なかなか優勝に手が届きませんでした。手術して半年も経たないわけですから、脅威的な回復力です。しかし、国枝選手にとってはどんな状態でも負けは負け、悔しさは変わらないはずです。

 10年に連勝がストップし、改めて「挑戦者」を意識できたことで国枝選手はそれまでにない新たな力を獲得しました。そして、ロンドンパラリンピックを1年後に控えた昨年、ヒジを故障し、実戦から離れ、さらに手術にまで至ったことは、国枝選手をより大きな挑戦者にしたはずです。

 今、国枝選手は勝ちに飢えている状態です。フレンチ、スイスと連覇をしたものの、世界ランキングは3位(2012年7月19日現在)と、まだ世界チャンピオンには返り咲いていません。しかし、パラリンピックで金メダルを獲得すれば、「やっぱり、国枝は強い」と認められるはずです。そして、彼自身もようやく“復活”の時を迎えます。だからこそ、国枝選手は何が何でもロンドンで金メダルを獲りにいくことでしょう。勝利への欲望が強い挑戦者の国枝選手は、北京以上の強さを見せてくれると私は信じています。

 “断る勇気”をもてる誠実さ

 国枝選手はプレーヤーとしてのみならず、人間的にも魅力あふれる人です。彼の言動には一切の嘘がありません。実は昨年、こんなことがありました。毎年5月には、福岡県飯塚市でジャパンオープン(飯塚国際テニス大会)が開催されます。しかし、昨年は3月に起きた大震災の影響で、開催が危ぶまれていました。それでも「復興への願いをこめた大会として開催しよう」という運営側の方針で、予定通りに行なわれ、男子シングルスでは国枝選手が6連覇を達成しました。

 毎年、インターネット生中継(モバチュウ)で決勝を配信しているNPO法人STANDでは、昨年は試合の模様を中継すると同時に、選手たちから被災地へのメッセージをいただきました。国枝選手にも決勝を終えた後、お願いをしたところ、「いいですよ」と笑顔で快諾してくれました。ところが、いざ話始めると、「あぁ、やっぱりダメです」と途中で止めてしまったのです。「もう一度、お願いします」と言って、再び話そうとした国枝選手でしたが、なかなか言葉が出てきません。「ちょっと待ってください……話がまとまらない」と、しばらく考えた国枝選手はこう言いました。
「被災地の人に対して言えるようなコメントが見つからないので、今回は申し訳ありませんが、やめさせていただけませんか」

 国枝選手にとっても、一度は承諾したことですから、途中でやめて断ることは勇気がいったはずです。しかし、どんなに考えても、的確な言葉が見つからなかったのです。また、自分の立場としての責任の大きさも考えたのではないでしょうか。国枝選手は言わずと知れた、世界のトッププレーヤーです。その国枝選手の言動は、本人が望まずとも、大きな影響を及ぼします。ですから、言葉一つひとつに重みがあることを強く自覚していたのです。そして、その時の国枝選手には、その責任を果たすだけの言葉が見つからなかったのでしょう。彼は申し訳なさそうにしながらも、きちんと「今回はできません」と言いました。私はそんな姿を見て、改めて国枝選手の誠実さを感じずにはいられませんでした。

 プレーヤーとしても、人としても、逸材である国枝選手は、まさに日本が誇るスーパースター。9月8日、車いすテニス男子シングルス決勝のコートで、最高の笑顔でガッツポーズをする彼の姿が見られることを心待ちにしています。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。11年8月からスタートした「The Road to LONDON」ではロンドンパラリンピックに挑戦するアスリートたちを追っている。