パラリンピックは世界最高峰の競技大会ですが、実はわが国には、「ジャパンパラ」という国内最高峰の大会があります。日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会(JPC)と各競技団体が主催する大会で、現在は陸上、水泳、アーチェリー、スキーの4競技で行われています。これまでSTANDでは、ジャパンパラのいくつかの大会のインターネット生中継(モバチュウ)を行ってきました。そこで今回は、2009年7月20日、大阪で行なわれた「ジャパンパラ水泳競技大会」での出来事についてお話します。
 大会の数日後、会社に一本の電話がありました。50M自由形に出場した愛知県在住(当時)の竹内 那苗(たけうち ななえ)選手の母親、香世子さんからでした。
「中継していただき、本当にありがとうございました! 自宅に戻ってから、パソコンで録画を観ました。まるで私の娘がオリンピック選手みたいに見えて、感動してしまいました。こうして中継をしていただくと、障害者の大会ではなく、一流スポーツの大会のようですね」
 そう元気にお話される香世子さんの声に、私も嬉しさがこみ上げてきました。そして、香世子さんはこう続けました。
「あの映像をビデオにして譲っていただけないでしょうか」

 当時、竹内選手が出場したレースには、彼女とパラリンピック出場経験のある男子の2人のみでした。性別の違いもあり、2人のタイム差はかなり大きく、竹内選手は一人取り残された状態になったのです。「モバチュウ」では、男子選手がゴール後も竹内選手を映し続けました。それをパソコンで見た香世子さんには、まるで竹内選手の独占中継のように思えたのです。それで、なんとか保存したいと思い、思い切って問い合わせをしたというのです。私は「娘がオリンピック選手のようだった」という言葉に胸が詰まる思いでした。

 不退転の決意

 思えば「モバチュウ」は9年前、障害が原因で金沢から大阪の大会へ遠征できなかった、たった一人の電動車椅子サッカー選手のために始めたものでした。私自身は、「なんとかして、大会を見てもらいたい」という気持ちで行なったものでした。しかし、会場では峻烈なお叱りの言葉を頂戴したのです。電動車椅子サッカーはいわゆる重度障害者を対象とした競技です。その重度障害者の姿を、インターネットを介して、多くの人の目にさらすことへの非難でした。「障害者をさらし者にして、何をしたいんだ」というわけです。

 それでも私はその時、大会に行くことができなかった選手がユニホームを着て、チームの仲間と同じ気持ちになって中継を食い入るように観ていたことを知り、「彼と同じような喜びを多くの人に感じてもらいたい」という思いで、これまで「モバチュウ」を続けてきました。その後、モバチュウは様々な競技へと広がっていきましたが、現在でも大会が終わるたびに、「ありがとう」の声と同時に、「さらし者」という批判の声が届けられます。私自身、「さらし者にして、何をしたいんだ」という意見に対しての答えがなかなかを見つけられずにいました。

 しかし、香世子さんからの電話は、私に「より多くの人に求めてもらえる中継を続けていこうと」という不退転の決意を与えてくれたのです。おかげで今日まで続けてくることができました。感謝の気持ちとともに、さらに障害者スポーツの魅力を伝えられる中継をしていきたいと今、改めて感じています。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車椅子陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。11年8月からスタートした「The Road to LONDON」ではロンドンパラリンピックに挑戦するアスリートたちを追っている。