データより大事なもの。それは確かな技術の習得だ ~石毛宏典氏インタビュー~
西武ライオンズの黄金時代を築いた立役者の1人である石毛宏典さん。輝かしい歴史の中心にいた「ミスターレオ」が、その深き野球愛を当HP編集長・二宮清純と語り合う。

二宮清純: 石毛さんは中学校に入ってから本格的に野球を始めたそうですが、きっかけは?
石毛宏典: うちは農家で11人家族の大所帯。おふくろは、家事や畑仕事、姑・小姑との関係などずいぶん苦労したようで、よく家で泣いていました。僕は、おふくろの泣いている姿を見たくなかったし、畑仕事を手伝うのも嫌だった。それで、できるだけ長く学校にいられる方法を考え、一番遅くまで練習していた野球部に入りました。
二宮: その後、市立銚子高校(千葉県)では1番打者の遊撃手として活躍し、駒澤大学に進学。野球部の寮に入ったら、同部屋の先輩に中畑清さん(元巨人)がいたそうですね。
石毛: そうです。当時の駒大野球部は軍隊でしたね。入部した当初は60人ほどいた1年生が、5~6月あたりで20人くらい減り、夏の練習でさらに20人くらい辞めた。「こんなのは耐えられない。人間扱いされていない!」などと言って、ほとんど夜逃げ状態でした。
二宮: 石毛さんは、どうだったのですか。
石毛: 僕は、自分では野球がうまいとは思っていなかったので、教職免許とって高校の先生になろうと思っていた。でもある時、授業に向かおうとしている私を見つけた中畑さんが、「お前何しているんだ」と声を掛けてきたんです。それで「教職を取りたいので授業に行ってきます」と答えると、「そんなもんやめとけ。バット振っていろ!」って(笑)。結局、そうやって野球に専念するようになって、気づけば2年生、3年生と日米大学野球の日本代表に選ばれるくらいになりました。
二宮: 大学卒業後はプリンスホテルを経て西武に入団しました。西武在籍中の14年間で11回のリーグ優勝、8回の日本一。一番印象に残っている日本シリーズは?
石毛: 1998年、星野(仙一)監督率いる中日との日本シリーズですね。西武の3勝1敗で迎えた第5戦。5対6でリードされて迎えた9回裏、僕のソロホームランで同点に追いついた。そして延長11回、先頭打者の清原(和博)が安打で出塁し、私が送りバント。2アウト後、伊東(勤)がヒットを打ってサヨナラ勝ちし、日本一を決めました。
二宮: 前の打席でホームランを打っている石毛さんが送りバントをした。あのシーンは、とても印象に残っています。
石毛: 私は多少長打が打てるし、バントやエンドラン、盗塁など細かいこともできるのが強み。そうした自らの特長を存分に発揮できたのが、シリーズMVPを獲得した、あの時の日本シリーズでした。
二宮: それにしても当時の西武は強かった。
石毛: いいチーム作りというのは、人集め、人の教育、そして人の使い方が重要ですが、西武はこれが素晴らしかった。人集めについては、クラウンライター時代から監督をやっていた根本陸夫さんが、いい選手を集めながら毎年10人以上の選手を入れ替えてチームを変えていきました。残念ながら在任中にリーグ優勝はできませんでしたが、後任の広岡達朗さんの時に花開いた。その後も、いい素材を根本さんがとってきて、技術指導を広岡さん、マネジメントを森祇晶さんが行った。いいチーム作りの鉄則は、今もそう変わらないと思います。
二宮: 根本さんに見いだされた石毛さんは、入団1年目(1981年)から活躍して新人王を獲得。その翌年、広岡さんが監督に就任したわけですが、広岡さんの最初の印象は?
石毛: もう最悪でしたよ(苦笑)。合同自主トレが初対面だったのですが、いきなり「お前が石毛か。そんなもんでよく新人王を取れたな」と言われました。それで私はへそを曲げてそっぽを向いていましたが、広岡さんが私のライバルとなる選手を4~5人集めて指導していると、彼らがいい感じに変わっていくわけです。それを見て、「これは聞かなきゃダメだな」と思って、広岡さんに「私にも教えてください」と頭を下げました。
二宮: どんな指導を受けたのですか。
石毛: 広岡さんは「お前らにノックは10年早い」なんて言いながらボールを手で放り、それを私が捕る。すると、「お前のやり方は我流だ。若い時は筋肉が柔軟だからそれでも動けるけど、30(歳)過ぎたら野球ができなくなるぞ。正しいやり方を身につけろ」と言って、足の運び方や捕球の仕方など、基礎をみっちりたたき込まれました。
二宮: それが10回度のゴールデン・グラブ賞受賞の礎になったわけですね。他の選手にも厳しかったのでしょうか。
石毛: 厳しかったですよ。合同自主トレ終了後のミーティングで、広岡さんはこんなことを言うんです。「このチームには、打つだけで高い給料をもらっている奴がいる」と。
二宮: ……田淵幸一さんのことかな(笑)。
石毛: また、「5回まではいいけれども、6、7回で急に崩れるエースがいる」と。
二宮: ……これは東尾修さんかな(笑)。
石毛: ご想像にお任せします(笑)。まあ、そんなこと言うから、当然みんな反発しますよね。すると広岡さんは、「お前たちの給料はどこから出ているんだ」と聞く。それで誰かが「球団です」と答えると、「バカ者。ファンからいただいているお金じゃないか。もし、お前たちが体調不良で出場できなかったら、ファンはがっかりする。レギュラーにはゲームに出続ける使命がある。そのためにはどうしたらいい?」ということで、コンディション作りのための自然食のセミナーなどが始まっていくわけです。
(詳しいインタビューは1月31日発売の『第三文明』2026年3月号をぜひご覧ください)

<石毛宏典(いしげ・ひろみち)プロフィール>
1956年9月22日、千葉県旭市出身。中学校入学後に本格的に野球を始め、市立銚子高校から駒澤大学へ進学。社会人野球のプリンスホテルを経て、80年のドラフト会議で西武ライオンズから1位指名を受けて入団。81年には打率3割1分1厘、21本塁打の記録を残し、新人王を獲得した。その後も、持ち前のリーダーシップと卓越したプレーでチームを牽引。西武在籍中の14年間で11回のリーグ優勝、8回の日本一に貢献した。ダイエー(現・ソフトバンク)を経て、96年に現役を引退。ダイエー2軍監督、オリックス監督を歴任し、2004年に四国アイランドリーグ(現四国アイランドリーグplus)を創設。現在は解説者のほか、野球教室や講演活動など多方面で活躍している。プロ通算1796試合、1833安打、236本塁打、847打点、打率2割8分3厘。