巨人が交流戦で初めて優勝した。24試合で17勝7敗。連敗は一度もなかった。
 セ・リーグとパ・リーグの交流戦が始まって8年目になるが、セ・リーグのチームが優勝したのは初めてのことである。

 巨人の圧勝を受けて、パ・リーグのスコアラーが、こんなことを言っていた。
「昨年までの巨人の野球は、どちらかと言うと選手任せ。大味だった。ところが今年は、しっかりと狙い球をしぼってくる印象があります。“たとえ見逃し三振を喫しても、狙い球とは違っていたなど根拠がはっきりしていれば首脳陣は怒らない”という話も聞きました。まるで昔の“野村野球”を見ているようです」

 思い当たるフシがある。昨年オフ、巨人は知将・野村克也の門下生を2人、コーチとして採用した。バッテリーコーチの秦真司と戦略コーチの橋上秀樹である。2人ともヤクルト時代にノムさんの薫陶を受けた。
 実はこの2人の採用に深く関わったのが、巨人に反旗を翻した元球団代表の清武英利氏である。

 2人を推薦した理由について、清武氏はこう語っていた。
<まず橋上氏ですが、彼は今季(2011年)BCリーグ・新潟アルビレックスBCの監督をやっていた。巨人のファームと何度か試合をしたんですが、まぁ戦い方が素晴らしい。当然、「相手の大将は誰だ?」って話になるじゃないですか。橋上氏を推薦したのは松尾英治GM補佐です。
 もうひとりの秦氏は原(辰徳)監督の強い要望でした。「打撃コーチでもバッテリーコーチでもいいから、とにかく入れてくれ」と。失礼ながら秦氏については指導者としては全く知らなかった。実際にお会いすると、非常に知的な方でよく勉強されている。“これは入団してもらう価値のある方だ”と判断して組閣リストに入れたんです>(週刊現代2011年12月24・31日号)

 皮肉を込めて私が「橋上氏も秦氏も野村ヤクルト時代の選手。とりわけ橋上氏には『野村の監督ミーティング』(日文新書)などという著作もあります。つまり巨人に足りないのは野村克也さん流のID野球だったんでしょうか?」と問うと、「それは僕、認められないな」と笑っていた。
 それはともかくとして、現在の原巨人に野村野球が浸透していることは間違いあるまい。

 先に狙い球に関するパ・リーグのスコアラーの話を紹介したが、かつてノムさんを師と仰ぐ山武司(現中日)から、東北楽天時代にこんな話を聞いたことがある。
「たとえ僕が1回もバットを振らずに3球三振に倒れたとする。でも、“全部真っすぐを待っていたんだけど、3球ともカーブが来た”というきちんとした理由があれば監督は怒らないんです。
 要するに失敗の根拠さえ、はっきりしていればいいんです。それは次につながりますから。監督も“(読みがはずれて)ダメだったら帰ってこい。次頑張れ!”と励ましてくれますよ。
 逆に運よくヒットが出ても、それが偶然の産物だったら、監督は喜びません。それはたまたまであり、次につながらないからです。
 監督は僕らに“根拠”という言葉をよく口にします。“そのプレーはどうなんだ?”と聞かれたとき、バンバンと返せる言葉があれば、監督は怒りません。根拠さえしっかりしていれば。だから僕らベテランはやりやすいですよ。ああしろ、こうしろと強制されることがありませんから……」

 現在、巨人には野村門下生が橋上コーチ、秦コーチの他、荒井幸雄コーチ、野村克則コーチ、田畑一也コーチ、河本育之コーチと6人もいる。メーカーにたとえていえば、ライバル企業から腕利きの技術者をごっそり引き抜いたようなものだ。

 巨人は最大で7あった借金をあっという間に返済し、交流戦が終了した時点で貯金10。首位中日とは1ゲーム差に迫った。
 5月6日の阪神戦から5月25日の千葉ロッテ戦にかけてはチームとして3年ぶりの10連勝(3引き分けをはさむ)を記録した。剛の野球に柔が加わり、今の巨人に弱点は見当たらない。6月30日に首位に立つと、貯金は25まで伸ばし、2位中日との差を4.5ゲームに広げている(8月6日現在)。

 中日に連覇を許した反省から、昨年オフ、巨人は福岡ソフトバンクから杉内俊哉、デニス・ホールトン、横浜(現・DeNA)から村田修一(横浜)を獲得するなど大型補強を敢行した。
 これに対する批判はかまびすしいものがあったが、逆に言えば、巨人も背に腹は代えられないという切羽詰まった状況にあるということだ。2リーグ分立以降、巨人は他のチームに3連覇を許したことが一度もないのだ。

 V奪回を至上命題とする巨人の知的戦力が、かつて天敵だった野村門下生という名の大いなる皮肉。ノムさんも苦笑を浮かべているのではないか。

<この原稿は2012年7月17日号『経済界』に掲載された原稿を再構成したものです>

◎バックナンバーはこちらから