イチローがマリナーズからヤンキースに電撃トレードされた。若手投手2人プラス金銭との交換トレードだった。7月30日には本拠地ヤンキースタジアムで、オリオールズのミゲル・ゴンザレスからメジャーリーグ通算100号を放つなど健在ぶりを発揮している。
 チームは8月1日現在、アメリカンリーグ東地区の首位。2位オリオールズに6.5ゲーム差をつけている。イチローがポストシーズンゲームに出場すれば2001年以来、2度目ということになる。「一番勝ってないチーム(マリナーズ)から一番勝っているチーム(ヤンキース)に移る」実感を今イチローは味わっているはずだ。

 それにしても、このトレードには驚いた。以前からウワサはあったが、まさか、この時期とは……。いや、この時期でなければ話はまとまらなかったとも言える。
 イチローとマリナーズの契約は今季限りで切れる。彼クラスの選手になれば、来季以降の契約を巡り、この時期、水面下で代理人が球団フロントと交渉を行うのが常である。なぜならメジャーリーグにおけるトレード期限は7月いっぱいだからだ。

 日本のオリックスからマリナーズへ移籍した01年から10年連続シーズン200本安打を達成したイチローも、さすがに近年は衰えが隠せない。昨季は打率2割7分2厘、今季もトレードされるまでは2割6分1厘と不振を極めていた。
 万年青年のような印象を漂わせるイチローも、この10月で39歳になる。現在のイチローの年俸は1800万ドル(約14億8000万円)だが、残念ながら今の彼にそれだけの商品価値はない。球団側はイチローサイドに来季以降は契約の意思がないか、契約するにしても大幅な年俸ダウンを告げたはずだ。

 そのあたりの経緯を、イチローは移籍記者会見で、自ら明かしている。
「オールスターブレークの間に自分なりに考え、出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に来季以降、僕がいるべきではない、ということでした」。
 水面下でこのような交渉を行うなど、球団がここまでイチローに気を遣うのには理由がある。イチローがチームの大功労者であることに加え、彼はトレードを拒否する権利を持っているからである。球団の親会社が日本企業の任天堂であることも微妙に影響している。

 ヤンキースからのオファーはイチローにとって渡りに舟だったはずだ。彼は、まだ「世界一」を経験していない。チャンピオンリングを指にはめるのはメジャーリーガーなら誰もが抱く夢だ。もちろんイチローとて例外ではない。
 イチローは移籍決断の理由をこう語っている。「前向きな挑戦というものが必要だし、それにトライしたいという思いが芽生えた。その中ではネガティブなこともたくさん考えた。ノーならネガティブな挑戦、イエスなら前向きな挑戦が待っている。2つの道があってどっちを取るかは、そんなに迷わないでしょう」

 言うまでもなくヤンキースはメジャーリーグきってのスター軍団である。イチローと言えども、レギュラーの座が保証されているわけではない。8番という打順は本人にとっても不本意だろう。
 しかし、この悔しさがイチローの闘争心に火を点け、復活へのきっかけとなる可能性は十二分にある。それはイチローにとっても望むところだ。マリナーズにはなかった刺激がここにはある。

 ところで今回のトレードで一番得をしたのはヤンキースだろう。ヤンキースの年俸負担額は、わずか225万ドル(約1億7800万円)。常にベストコンディションを保っているイチローにはケガの心配もない。ジョー・ジラルディ監督は「イチローのスピードと打者としての能力を得られて興奮している」と語っている。

<この原稿は2012年8月10日付『電気新聞』に掲載されたものです>

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