【冬季五輪メモリー】アクシデント待ちの後方待機昨戦
現場で世にも不思議な金メダルを見届け、漁夫の利とはこのことだな、とヒザを打ったことを、つい昨日のことのように思い出す。
2002年ソルトレークシティー冬季五輪ショートトラック男子1000メートル決勝。アイスセンターに詰めかけた大観衆のお目当ては甘いマスクの日系2世アポロ・アントン・オーノ(米国)だった。
ところが勝ったのはノーマークのオーストラリア人スティーブン・ブラッドバリー。競馬で言えば彼は無印だった。
ブラッドバリーの勝因は「落馬」だった。決勝に残った5人のうち、あろうことか先頭集団のオーノ、安賢洙(韓国)、李佳軍(中国)、マシュー・ターコット(カナダ)の4人が揃って転倒してしまったのだ。
ひとり難を逃れたものがいた。それが残り一周で大きく遅れをとっていたブラッドバリーである。氷の上でのたうち回る4人を尻目に涼しい表情でフィニッシュラインを通過してみせた。
記者会見は爆笑の渦に包まれた。
「実は先頭集団のアクシデントを期待しながら滑っていたんだ。そうしたら本当に予期せぬことが起きてしまった。作戦通りだったね(笑)」
オリンピックには「魔物が棲む」という。転倒した4人にとっては「魔物」でも、ブラッドバリーにとっては「女神」だったに違いない。
ブラッドバリーは実力的には金メダルはおろか表彰台にすら手が届きそうにない選手だった。
オーノらと同組となった準々決勝では後半になって足が止まり、3位でゴールした。準決勝進出は上位2人。この時点でアウトだったが、2位の選手が失格となり、繰り上げで準決勝に進出した。
準決勝でもブラッドバリーは運に恵まれた。終始、最後尾から上位を追走する展開。自力で先頭集団に追いつくのは難しいように思われたが、ここでも「女神」がオーストラリア人の背中を押した。
先頭集団の3人がクラッシュした上、ひとりが失格となったため、なんと1位での決勝進出が決まったのである。
ショートトラックはアクシデントに見舞われる可能性の高い不確実性にみちた競技である。
とはいえ、幸運が3度も続くことは、統計的に考えてありえない。ましてや舞台は世界中の視線が集まるオリンピックである。本人もファイナルに進出できたこと自体、奇跡だと思っていたに違いない。
ところが、である。先述したように、決勝でも奇跡は起きた。たとえていえば、宝くじに3回連続で当たったようなものだ。神がかりにも程がある。
以来、オーストラリアでは、「思いがけない成功」を「Doing a Bradbury」と呼ぶようになったという。
後方で待機し、辛抱強く先頭集団の失敗を待つ――。お世辞にも上品な戦略とは言えないが、それを徹底してやり切った、その精神力には感服する。
後日談がある。ソルトレークシティーからラスベガスへは飛行機で約1時間半。同僚からギャンブルに誘われても、彼は足を向けなかったという。オリンピックで人生全ての運を使い果たしたことを知っていたのだろう。
運は実力を超える。それもまたオリンピックの一面の真理である。
(この原稿は『アサヒ芸能』2019年9月19日号に掲載されたものです)