ピッチャーとは孤独な生き物である。小高いマウンドに上がれば、もう誰も助けてはくれない。
 つまりピッチャーが成功する条件――それは孤独に耐えられるか否かだと言っても過言ではない。

 この8年間で4度のリーグ優勝を果たした落合中日をヘッドコーチなどで支えた森繁和が『参謀』(講談社)という本を上梓した。我が意を得たり、という件(くだり)があったので紹介しよう。

<グラウンドでの練習中、投手は意外に一人になることがない。ブルペンでは隣で仲間が投げているし、キャッチャーからも声がかかる。
 投内連係などの守備練習は当然、複数の投手陣で行う。外野フェンス際でのランニングも複数で走るのが普通だ。つまり、投手陣はみんなでわいわい話をすることが多いのだ。それはそれで自分のためになることはある。
 一方、これは投手に限らないが、宿舎に帰ると今の選手たちは個室を与えられる。そこで何をしているか、若い選手たちに聞いてみると、たいがいゲームである。
 一人ではいるのだが、これは「孤独に過ごしている」という感じではない。
 孤独な時間を作るのが重要なのは、それが自分を見つめ直す時間になるからだ。そして自分を見つめ直すことは、すなわち一人で野球を考えることになるのだ。>

 ひとりで考える。ひとりで自分と向き合う――しんどい作業である。
 しかし、これをやり遂げないことには難局を打開することはできない。
 森は続ける。
<オフや試合後、一人でゲームやパチンコをやっている投手はなかなか一人前にならない。
 それだったら、まだ麻雀で勝負の駆け引きを学び、相手の心理を読む訓練をしてくれたほうがよい。
 若い選手たちには、たまにこういう話もするのだが、「何をどうやって考えればいいんですか?」などと聞かれることがある。一人で考える習慣ができてないのである。私はそんなときこう答える。「そんなの自分一人で考えろ!」>(同前)

 そういえば最近、麻雀を好むプロ野球選手がめっきり減った。中には麻雀のルールすら知らないという者もいるというから驚きだ。
 まぁ、これも世の流れだろう。昔は宿舎で遅くまでチーポンやるのが“日課”だったが、今、そんなことをやっていたら「隣の部屋がうるさい」と苦情がくるのがオチだ。麻雀部屋を設けてないホテルも多いと聞く。
 麻雀で思い出した話がある。江夏豊と落合博満が雀卓を囲んだ時のことだ。
 江夏はことごとく落合の待ちを読み当てた。驚いた落合が「江夏さん、なんでわかるの?」と訊くと、江夏はこう答えたという。
「野球と一緒や。オマエ、狙ったボールを辛抱強く待ったことないやろ。ピッチャーはずぶとく待たれるのが一番イヤなんや」
 江夏によれば落合の打撃が変わったのは、それからだという。

 現役で麻雀の名手といえば、阪神の城島健司か。かつて佐世保の実家は雀荘だった。
「入団してしばらくは、まだ(麻雀は)下手だったね。しかし麻雀が強くなっていくにつれてリードもうまくなっていった」
 そう語ったのは城島の若き日を知るホークス元バッテリーコーチの若菜嘉晴だ。
「配球と打牌には共通点がある。何を捨てるか、何を最後までとっておくか。よく見ていたら大体ピッチャーの性格がわかるものですよ。
 特にテンパッた時にはクセが出る。僕が教えたわけじゃないけど、城島は麻雀を通じてピッチャーとのコミュニケーションをはかり、リードの腕を上げていきましたね。その意味で麻雀は野球に役立つ遊びだと思いますよ」

 考えてみれば麻雀も孤独な営みである。誰も助けてくれないし、アドバイスもしてくれない。
 基本的には三人を相手に戦うため、相手の心理を読まなくてはならない。その意味では確かに野球に適したゲームと言えなくもない。とりわけピッチャーに麻雀の名手が多いのは、そうした理由に依るのだろう。

 成功するピッチャーには我が道を行くタイプが多い。孤独に耐え、そこから何かを掴み取った者のみが生き残る。
 しかし聞く耳だけはしっかり持っている。つまり孤立はしていないのだ。なるほど孤独と孤立は似て非なる言葉である。

<この原稿は2012年5月25日号の『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

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