イベントごとにおける雰囲気づくりは、本当に大切なものだと思う。 
 メインストリートに飾られた提灯に灯が燈り、しめ縄から吊るされた紙垂(しで)が風にそよぐ頃、どこからともなく祭囃子の音が聞こえてくる。“もうまもなく、お祭りが始まるのだな”と感じられ、気持ちが高揚するのを覚える。これも歴とした雰囲気づくりの一種である。
(写真:松山銀天街に翻る愛媛FCフラッグ)
 間近に迫った「お祭り」の到来を街の人々に印象付けるとともに、誰もが童心に帰り、胸をときめかせるようなトリップ感を味わえる。絶妙な雰囲気のつくり方だと思う。
 
 このムードに一瞬でも触れた人々の心は「お祭り」の世界へと誘われ、日々の暮らしの中で、その胸を期待感で膨らませるはずだ。そして、膨れ上がった多くの人々の思いが、本番で一気に爆発し、「お祭り」は大いに盛り上がるのである。
 
 これは私たちの周りで行われている「地方祭」などでは古くから繰り返されてきたやり方で、もともと効果を狙って行われたものかは定かではない。だが、子供の頃から地域において擦り込まれてきた手法だけに、その影響力は絶大である。
 
 常々、このコラムでも語ってきたが、松山市では「愛媛FCがある街」という雰囲気づくりが残念ながら、まだまだ進んではいない。

 他のJリーグクラブでは、玄関口となる空港や駅、また地域の商店街などにクラブのフラッグやのぼり旗、看板が設置されていたり、ポスターがいろいろな場所に掲示されているのをよく見かける。こういったツールを目にしながらスタジアムへ足を運ぶと、自然と気持ちが高揚するだろう。準備万端で試合にも集中できるし、地域同士のプライドを賭けた闘いを心から楽しめるのである。

 しかしながら松山の空港や駅を見渡しても、“ココって本当に、愛媛FCのホームタウンなの?”という感じなのだ。特に掲示物やアピールするものもなく雰囲気が感じられないのが現実である。この点は県外から来たサポーターからも、よく指摘を受けてはいる。

 かと言って、今まで何もしなかった訳ではない。クラブ事務局やサポーターレベルで各商店街や店舗施設にてポスターの掲出をお願いして廻ったり、お祭りのイベントなどでのぼり旗を設置させてもらったり、ということは行ってきた。だが、大きなアピール力はなく、多くの人に雰囲気を伝えるまでには至らなかったのだと思う。
 
 そんな状況の中、一筋の光明を見出せるような活動をクラブ事務局とサポーターが行うことになった。松山市の中央商店街である松山銀天街アーケードの支柱(約100箇所)に愛媛FCフラッグを設置できることになったのだ。これは、クラブ事務局が提案し、松山銀天街商店街振興組合のご理解とご協力を得て、今回、実現する運びとなった活動である。
(写真:平日の夜、サポーターが力を合わせて作業)
 
 7月30日(月)午後9時、松山銀天街アーケードに約30名の愛媛FCサポーターが集った。松山銀天街商店街振興組合の方のご教授の下、皆で手分けしながら脚立などを使い、地上から3メートル程の高さにある街灯のブラケットに愛媛FC(Sサイズ)フラッグを結束バンドで取り付けていく。

 途中、同アーケード内で別の仕事をされていた電気工事の作業員さんにもお願いして手伝っていただきながら、約100箇所の支柱すべてに愛媛FCフラッグを設置することができた。1時間30分程の作業だったが、約600mにわたってまっすぐ続くアーケードの両サイドに設置された、たくさんの愛媛FCフラッグが翻る様子は本当に素晴らしい光景だった。
(写真:アーケードの支柱にフラッグを設置)
 
“願わくば、もう少し早い時期に、この取り組みが実現していれば良かったのに……”と歯痒さも感じるが、それでも、これがひとつのきっかけとなり、この街で雰囲気づくりの活動が加速度的に広がってくれれば、Jリーグクラブを支える地域としての意識の遅れを取り戻せるかもしれない。そのことを期待しつつ、次なる取り組みを考え、早急に活動していきたいと思っている。


松本 晋司(まつもと しんじ)プロフィール>
 1967年5月14日生まれ、愛媛県松山市出身。
 愛媛FCサポーターズクラブ「Laranja Torcida(ラランジャ・トルシーダ)」代表。2000年2月6日発足の初代愛媛FCサポーター組織創設メンバーであり、愛媛FCサポーターズクラブ「ARANCINO(アランチーノ)」元代表。愛媛FC協賛スポンサー企業役員。南宇和高校サッカー部や愛媛FCユースチームの全国区での活躍から石橋智之総監督の志に共感し、愛媛FCが、四国リーグに参戦していた時期より応援・支援活動を始める。
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