高橋尚子には小出義雄がいたように、北島康介には平井伯昌がいたように、ロンドンパラリンピック車いすテニス男子シングルスで同種目史上初の2連覇を達成した国枝慎吾には丸山弘道という名伯楽がいた。いた、と過去形にしたのはロンドンを最後にコンビ解消を明言したからだ。その理由は「国枝慎吾を負かす選手を育てたくなった」。いかにも丸山らしい。
 国枝がいかにスーパーであるかについては、今さら説明する必要もないだろう。07年11月から10年11月にかけてはシングルス107連勝を記録した。おそらく、この記録は今後もアンタッチャブルだろう。

 06年、ウィンブルドン(ダブルス)を制した際にはチャンピオンズ・ディナーの席で、あるレジェンドから、こんな言葉をかけられた。「すごい試合だったね。興奮したよ」。言葉の主はロジャー・フェデラーだった。
 フェデラーといえば、国枝に関し、こんな逸話を持つ。「日本の女子選手は世界でまあまあ通用しているが男子は通用していない。どう思うか?」。こう問われたフェデラー、何を言っているんだとでも言いたげな口ぶりで、こう返した。「日本にもひとり偉大なプレーヤーがいることを知っている。シンゴ・クニエダだ」

 丸山と国枝の出会いは17年前に遡る。インドアのコートで飛び跳ねるようにボールを追っている少年がいた。「あの子は誰ですか?」。それが小学6年生の国枝だった。
「成功する選手としない選手、どこが違うのか?」。一度、丸山に単刀直入に訊ねたことがある。答えはこうだった。「努力する選手はたくさんいる。ただ、世界のトップに立とうと思ったら、それだけではダメ。努力し続けることができるかどうか。これも才能のひとつなんです」

 車いすテニスの指導者は誰にでも務まるものではない。障害を負った理由から現在の症状まで的確に把握しておかなければ正しい指導はできない。かつてアップもせず試合に臨んだ選手がいた。その選手は足を切断していた。「足が痛かったんです」。理由を口にした選手に向かって、丸山はテーブルを蹴り、怒鳴り飛ばした。「そんなわけないだろう」。幻肢痛、いわゆるゴーストペイン。足を失っても痛みは残るのだと後で知った。「オレが悪かった」。こうした経験を重ねたことで、今の丸山がある。名伯楽はどこへ向かうのか……。

<この原稿は12年9月12日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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