16歳のプロ車いすテニスプレーヤー・小田凱人、「ヒーローになる」一歩へ

最新のITF世界ランキングでは2位(4月24日現在)。今、車いすテニス界で飛ぶ鳥を落とす勢いのレフティーは、昨年11月のNECマスターズを制し、今年1月の全豪オープンは準優勝、今年4月のジャパンオープンで優勝した。目標である「世界ランキング1位」も見えてきた。
「ものすごくワクワクしている。待ち望んだ瞬間。全仏を優勝できれば……。今年中に(世界ランキング1位)を達成したい」
小田には「ヒーローになる」という想いがある。「結果を出すプラス、イベントや活動を通じて憧れの存在に。誰もが憧れるのがヒーロー」と理想像を語る。
「プレーするだけでなく愛されてこそのアスリート。長い間、トップに居続けられる実力と忍耐力をさらに身に付け、僕を見て『車いすテニスを始めた』と言ってもらえるような選手になっていきたいと思います」
自身は9歳で骨肉腫を発症し、車いす生活となった。それまで打ち込んでいたサッカーでプロになることを諦めざるを得なかった。その小田が10歳で車いすテニスを始めたのはロンドンパラリンピックで金メダルを獲得した国枝慎吾氏のプレーを映像で観たからだ。
その国枝氏はこの1月で現役を引退。小田を「国枝の後継者」と呼ぶ声もある。
「(そのプレッシャーを)めちゃめちゃ感じています。緊張して迷うこともありましたが、誰もが言ってもらえることではないのでうれしいです。次を担う気持ちで頑張っています。後継者と言われないほどビッグになりたい」
日本生命との縁は2015年に同社と国枝氏とのタイアップでスタートした「ドリームカップ」。18年に行われた第3回大会に当時小学5年生の小田は、国枝氏と会えることを目当てに参加した。
「今でもはっきり覚えています。ワクワクしながら国枝選手に会うのを楽しみにイベントに参加させてもらったので印象深いです」
5月で17歳を迎える小田が、「年齢関係なくチャレンジすることが大事」と現役選手ながら岐阜オープン開催を実現させたのは以下のように理由にある。
「きっかけは世界のいろいろな大会に出場する前は、日本各地のフューチャーズ大会を転戦しながら日々成長してきた。もっと国内で大会が増え、普段の練習拠点である岐阜県で開催できれば僕が言う“車いすテニスを盛り上げたい”というところにも繋がると思ったからです。ジュニアの同時開催は僕が強く希望していました」
岐阜オープンはITFフューチャーズと同ジュニアの2カテゴリで開催。さらに車いすテニスの初心者参加型イベント「日本生命ヒーローズカップ」(8月8~9日)の併催も予定している。