うどの大木――。体ばかり大きくて何の役にも立たない者のたとえだが、プロ野球の世界でも、20年程前までは「大男は使い物にならない」と言われたものだ。
 球界きっての大男といえば、プロレスの世界で勇名を馳せた2メートル9センチのジャイアント馬場こと元巨人の馬場正平にとどめを刺す。馬場については以前にも書いたが、「野球で失敗してプロレスに転向した人」というイメージが定着している。しかし、1軍での通算防御率は1.29。わずか7イニングとはいえ、この記録は見事である。

 これは生前に本人から聞いた話だが、大男というだけで首脳陣から下半身が弱い、動きが鈍いと見なされ、なかなか1軍に上げてもらえなかったという。当時、巨人の助監督を務めていた千葉茂の馬場評はこうだ。

<バント守備や一塁カバーやらせたら「それ、何のことです?」という感じや。わけがわからんもんやから足がもつれて転がっとる。大きな体が転がっとるから、野手と交錯したりして邪魔くさくてしょうがない>(自著『巨人軍の男たち』より)

 千葉の苛立ちも分からないではないが、雪深い新潟の無名校からやってきた少年に、いきなりプロの、しかも当時、最先端の戦術を誇った巨人の高度な連係プレーを求めても、それは土台、無理だったのではないか。

 馬場ほどではないが“ジャンボ”の異名をとった仲根政裕も規格外だった。身長193センチ。日大桜丘のエースとして72年のセンバツに優勝、ドラフト1位で近鉄に入団したが、投手としては大成しなかった。

「フリーバッティングで左打者にぶつけてからイップスになってしまった。体は大きいけど神経は細やかな男でした」。そう語るのは同僚だった佐々木恭介。そして続けた。「当時、190センチ台の選手はほとんどいなかった。杉下茂さんや金田正一さんも大男と言われていたけど180センチ台。仲根は足も速かったし、身体能力も高かったけど、周りからはそう見えなかったかもしれませんね」

 今秋のドラフト会議、高校生の目玉は197センチの藤浪晋太郎(大阪桐蔭)と、193センチの大谷翔平(花巻東)である。「うどの大木」などと陰口を叩くスカウトはひとりもいない。メジャーリーガーに“サイズ負け”しない時代は確実に近付いている。

<この原稿は12年9月19日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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