「うわぁ、かっこいいなぁ。私もやってみたい……」――平井美鈴は目の前の映像に目を奪われていた。海外の大会PR用に製作されたフリーダイビングのビデオに映し出されていたのは、それまで見たことのなかった色鮮やかなウエットスーツに身を包んだダイバーたちの美しい姿だった。
「まるでイルカのように優雅に水中に潜っていく姿が、かっこよく見えたんです。『こんなに美しいスポーツってあるんだ……』と思いました」
 それからというもの、平井は来る日も来る日もそのビデオを観続けた。いつの間にか、フリーダイビングの世界へと引き込まれていた――。

 はじまりはイルカへの憧れ

 今から12年前のある日のことだ。偶然観ていた深夜番組で野性のイルカを間近で見ることのできる小笠原諸島の観光ツアーを知った平井は、“最初で最後”のつもりで小笠原に出かけた。せっかくだからと、イルカと一緒に泳ぐことのできるツアーに参加した平井だったが、実は彼女は泳ぐのが大の苦手だった。海水浴に行ったとしても、海辺で水遊びをする程度で、深いところまでは一度も行ったことがなかった。当然、潜った経験もない。ツアーでマスク、シュノーケル、フィンのダイビングセットを渡されたはいいものの、使い方を全く知らずに、船に乗り込んだ。

「きっと、船上で説明してくれるんだろうな」
そう思っていた矢先、突然、船長が叫んだ。
「マンタだ! 一緒に泳いでいいよ!」
 みんな次々と海に飛び込んで行った。平井もワケが分からないまま、見よう見まねでフィンなどを装着し、海に入った。ところが……。

「うっ……」
 海水を飲みこんでしまい、潜るどころの話ではなかった。軽くおぼれかけた平井は救助され、船上に戻された。
「『泳いでいいよ』というのは、潜れる人はどうぞ、という意味だったと思うんです(笑)。でも、みんながバタバタと飛び込んでいくもんだから、つられて私まで行っちゃって……。それからはライフジャケットをつけて、プカプカ浮きながら、イルカを見ていました」

 水中では、他のツアー客がマンタやイルカたちと楽しそうに戯れているのが見えた。平井は一人、水面上で羨ましそうに見ているしかなかった。
「私もあそこに行きたいな……」
 5メートルほど下で繰り広げられている別世界を、平井は羨望の眼差しで見ていた。

 フリーダイバーとの出会い

 美しい自然の宝庫である小笠原をすっかり気に入った平井は、それ以降、毎年のように訪れるようになった。そして、そこで親しくなった友人と、沖縄まで足を伸ばした時のことだった。帰りのフライトで不具合が生じ、平井たち乗客は那覇空港で飛行機に乗り込んだまま待たされるハメになった。
「どちらへ行かれたんですか?」
 時間を持て余していたのだろう、隣の席の男性が話しかけてきた。

「小笠原に行った時に練習したウクレレを弾きながら、海辺を散歩していました」
「海には入らなかったんですか?」
「冬ですし……。水族館に行ったくらいです」
「僕はフリーダイビングの練習に来たんです」

 聞けば、フリーダイビングの日本代表だと言う。そこで平井は、小笠原でイルカと一緒に泳ぎたいが、自分は水泳が苦手で潜ることができない、という悩みを打ち明けた。
「それじゃ、フリーダイビングの練習をするのが、一番の近道ですよ」
 そう言って、彼はフリーダイビングの魅力について語り始めた。
「何がってわけではなかったのですが、彼が本当にフリーダイビングが好きだということだけはよくわかりました。もう、楽しくて仕方ないという感じだったんです」
その熱心ぶりに圧倒されながら話を聞いているうち、いつしか飛行機は、羽田空港に着いていた。

 数日後、平井の元にCDが届いた。送り主は飛行機で知り合ったフリーダイバーだった。CDにはフリーダイビングの写真や動画が入っていた。
「うわぁ、これは無理。とても私にはこんな恰好はできない……」
 写真には頭から足のつま先まで黒いウエットスーツに身を包んだ人たちが、船上から垂らしたロープをつかんでいる画があった。平井には「怪しい」としか思えなかった。
 しかし、動画を観てみると、これまで目にしたことのなかった世界に引き込まれた。
「大きな1枚のフィンで、岩肌を潜っていくシーンだったのですが、すごくビックリしたのを覚えています。『人間って、こんな潜り方ができるんだ』と。その時、ほんの少しだけフリーダイビングに興味を持ちました」

 踏み出した大きな一歩

 約1カ月後、今度はメールが届いた。国内の室内プールで開催される大会の知らせだった。平井は軽い気持ちで見学に行くことにした。どんなものなのか、少し様子だけを見て、すぐに帰るつもりだった。ところが、最寄駅まで迎えに来てくれた彼に連れられてプールに行くと、会場にはほとんど観客はいなかった。競技者も少なく、ほとんどが知り合いという中で、平井は一人、目立っていた。とても途中で帰ることはできなかった。半ば諦めて大会を見学していたが、平井には正直、よくわからなかった。

「プールで大会というので、競泳のようなものをイメージしていたんです。そしたら、シーンとした中でみんなプールに潜って、どれだけ息を止めていられるか、あるいはどれだけ潜水できるか、を競っているんです。見ていても、『私もやりたい』とは思えませんでした」
 だが、一つだけ羨ましさを覚えたものがあった。平井を誘ってくれた男性が所属する「東京フリーダイビング倶楽部」の雰囲気だ。アットホームで、仲の良さが見てとるようにわかったのだ。
「楽しそうだし、私も習ってみようかな」
 そう思っていると、帰り際、クラブの一人からビデオを渡された。それが先の平井を魅了した大会PR用のビデオだった。

 善は急げとばかりに、すぐに平井はスクールに申し込み、フリーダイビングの基礎スキルを習い始めた。それをマスターした後、「東京フリーダイビング倶楽部」に入会した。フリーダイビングの練習と共に、冬になると、水泳も特訓した平井は、それまで25メートルもやっとやっとだったのが、1年後には1キロ以上も泳げるようになっていた。
「冬にはほぼ毎日プールに通って、泳ぎの練習をしました。泳げるようになると、不安が取り除かれて、フィンをつけて潜った際にも水中でリラックスできるようになったんです。おかげで息も長くなって、潜る距離もどんどん伸びていきました」

 偶然観たテレビ番組によって、それまでさほど興味を示さなかった海へと導かれ、そして偶然出会った1人のダイバーによって知ったフリーダイビングという競技の魅力……平井の人生が“偶然”という名の運命によって、大きく変わり始めていた。

(後編は10月3日更新予定です)


平井美鈴(ひらい・みすず)
1973年1月30日、東京都生まれ。現在は千葉県在住。「東京フリーダイビング倶楽部」に所属。2003年よりフリーダイビングを始め、06年に日本代表として初めて臨んだ世界選手権(エジプト)では、コンスタントウエイトウィズフィンで日本新記録61メートルを樹立した。以降、毎年世界選手権に出場し、08年には日本人初のメダルとなる団体戦銀メダルを獲得、10年には団体戦初優勝を達成した。昨年は日本・アジア記録の自己ベストを82メートルまで更新し、個人で銅メダルを獲得した。今年は90メートル台に挑戦し、ゆくゆくは世界記録101メートルが目標だ。インストラクターとしても活躍し、今年、「プールナ フリーダイビング スクール」を設立。競技の普及活動や、海の環境保全活動も積極的に行なっている。

『第2回マルハンワールドチャレンジャーズ』公開オーディションを経て、7名のWorld Challengers決定!
>>オーディション(8月28日、ウェスティンホテル東京)のレポートはこちら


※このコーナーは、2011年10月に開催された、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(斎藤寿子)
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