9日、12日間に渡って熱戦が繰り広げられたロンドンパラリンピックの幕が閉じました。今回、日本は金5、銀5、銅6の計16個のメダルを獲得。「北京以上」という目標は達成することはできませんでしたが、大健闘と言ってもいいのではないでしょうか。パラリンピック全体を見ても、史上最多のチケット販売数を記録するなど、これまで以上の盛り上がりを見せました。成熟社会におけるスポーツの存在というものを見せてもらったような気がしています。
 観客とボランティアがもたらすもの

 私がロンドンパラリンピックで、まず驚いたのは観客の多さです。特に陸上と競泳の会場は、連日満員。予選でさえもチケットが完売しているという状況でした。そして、さすがは“ジェントルマン”の国、英国。応援のマナーもとても気持ちのいいものでした。地元の選手にだけでなく、素晴らしいプレーや記録そして試合後やセレモニーでは、どの国のチームや選手に対しても惜しみない称賛の拍手が送られていたのです。また、レースが始まる合図の笛などが鳴ると、ピタッと歓声が鳴りやむのです。いつまでもザワザワしているようなことは、ほとんどありませんでした。

 こうした英国のフェアで温かく、そして紳士的な応援を見ていて、私は改めてスポーツの素晴らしさを見せてもらったような気がしました。勝負の世界とはいえ、結果を超越したところにこそ、スポーツの意義があると改めて感じたのです。見ている私でさえも気持ちがよかったわけですから、選手たちにとっては、これ以上ない、素晴らしい舞台での試合になったのではないでしょうか。

 また、ボランティアの人たちの言動にも感動を覚えました。各試合会場では、通路や席を誘導するボランティアが、会場の内外にたくさんいました。お揃いのユニホームを着た彼らは「ゲームメーカー」と呼ばれています。大会がスムーズに運営されるよう、そして観客が楽しめるようにするために手伝いをしてくれているのです。彼(女)ら自身、その名の通り、単なるボランティアではなく、主催者と共に試合、あるいは大会をつくっているという誇りを持っているのです。

 今大会の成功は、主催者や選手はもちろんのこと、フェアな応援で気持ちのいい雰囲気をつくった観客と、紳士的な対応で運営を手伝ったゲームメーカーがいたからこそに他なりません。大会は、運営組織が準備して、選手がプレーして、観客が観る、という単純な組み合わせによるものではなく、お互いに影響し合い、呼応し合ってつくりあげていくのだと実感しました。

 超エリート化への遅れ

 さて、計16個のメダルを獲得した日本選手団ですが、どの競技会場でも聞かれたのが「個人での限界」という声でした。例えば陸上競技の山本篤選手。彼は、4年前の北京では走り幅跳びで銀メダルを獲得し、今大会では走り幅跳び、100メートルでのメダル獲得を狙っていました。しかし、結果は走り幅跳びは5位、100メートルは6位でした。その山本選手は100メートルのレース後、こんな感想を述べています。
「自分の調子が悪かったわけではない。ただ、周りが速くてビックリしました」

 他の選手からも同じような言葉が次々と出てきていたことに、私は正直、驚きました。これまで国際大会に出場し、世界の舞台で戦ってきた選手たちから、このような感想を聞くとは思ってもいなかったからです。なぜ、こうも日本人選手は世界に後れをとってしまい、しかもそのことをこの大舞台に来るまで気づかなかったのでしょうか。

 パラリンピックにおける障害者スポーツは、北京大会からオリンピック同様、「超エリートスポーツ」となっています。これは、国家予算をかけて強化しないと勝つことができないスポーツを意味します。そこで、他の先進国では国を揚げての支援が行なわれており、予算が投じられているのです。アジアでも中国や韓国にはパラリンピアン専用のナショナルトレーニングセンターがあり、競技に専念できる素晴らしい環境でトレーニングが行なわれています。

 ところが、先進国であるはずの日本は、パラリンピックへの国家予算は未だに十分とは言えず、個々の選手の努力に委ねられているのが現状です。情報収集ひとつとってもそうです。国際大会への参加が活発化されてきているとはいえ、やはり個人では限界があります。どの国が、どんなトレーニングをして、どんな成果を得ることで、4年という月日をかけてパラリンピックに臨もうとしているのか。個人で臨んでいるにすぎない現在では、こうした情報が十分とは言えません。国レベルでの科学的な分析に基づいたトレーニングや専門家による理論的なコーチング、メンタルトレーニングなどの対策を講じなければ、もう世界で勝てる時代ではなくなってきているのです。

 求められる法に基づく強化策

 日本では昨年8月、「スポーツ基本法」が施行されました。これはスポーツ立国を目指した日本が指針とするものです。このコーナーでも何度か触れていますが、スポーツ基本法では全国民に対してのスポーツの推進、そしてエリートスポーツの強化が掲げられています。その「エリートスポーツ」の中には、パラリンピックも含まれているのです。第1章総則・第2条「基本理念」には次のような一文があります。

<スポーツは、我が国のスポーツ選手(プロスポーツ選手を含む)が国際競技大会(オリンピック競技大会、パラリンピック競技大会その他の国際的な規模のスポーツの競技大会をいう)又は全国的な規模のスポーツの競技会において優秀な成績を収めることができるよう、スポーツに関する競技水準の向上に資する諸施策相互の有機的な連携を図りつつ、効果的に推進されなければならない。>

 つまり、日本はパラリンピックでメダル獲得を目指して強化していくことを、国の法律として決定しているのです。にもかかわらず、4年前の北京大会よりも世界との差が大きく開いてしまったわけですから、国として、その対策を早急に考えていかなければなりません。スポーツ基本法が成立された段階で、スポーツへの推進は、選手個人のものではなく、国家の問題として歩き出し始めたということを、国も選手も、私たち国民も自覚をしていかなければいけないのではないでしょうか。

 もちろん、スポーツ基本法が成立して1年で結果を求めるのは、あまりにも時期尚早です。ロンドンパラリンピックで、その成果を出すことができなかったことは致し方のないことです。しかし、この現実を踏まえて、今後どうするかを考えるいい機会となったことでしょう。リオまでの4年間、日本がスポーツ立国への道をどう歩んでいくのか、今こそ、行動を起こす時なのです。

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。障害者スポーツをスポーツとして捉えるサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツに携わるようになる。現在は国や地域、年齢、性別、障害、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション活動」を行なっている。その一環として障害者スポーツ事業を展開。コミュニティサイト「アスリート・ビレッジ」やインターネットライブ中継「モバチュウ」を運営している。2010年3月より障害者スポーツサイト「挑戦者たち」を開設。障害者スポーツのスポーツとしての魅力を伝えることを目指している。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ〜パラリンピックを目指すアスリートたち〜』(廣済堂出版)がある。