パ・リーグのリーグ優勝を果たした北海道日本ハムの栗山英樹監督が、テレビ出演して印象的なことを語っていた。11度胴上げされたのだが、その間どんな気持ちだったか、と問われて、「クライマックスシリーズの選手起用のことが気になっていた」と答えたのだ。
 監督とは、かくも責任が重く、プレッシャーのきつい仕事なのだ、ということになっていたが、必ずしもそうではあるまい。少なくとも、過去、リーグ優勝を決めて胴上げされる時に、全ての監督が日本シリーズやクライマックスシリーズの作戦を考えていた、とはとうてい思えない。もっと素直に、率直に、感動にひたった監督さんだっていたはずである(こんなこと、証明はできませんが)。

 現役引退から20年以上も現場を離れ、コーチ経験もなし。誰もがその手腕を疑問視した栗山監督が、15勝は固いダルビッシュ有(レンジャーズ)の抜けた日本ハムを、なぜ優勝に導くことができたのか。その秘密が垣間見えたというべきか。すなわち、彼には監督の経験はないが、センスがあった。

 その象徴的な例として、よく中田翔を4番で使い続けたことが挙げられるが、極端に言えば、これは他の監督にもできることだと思う。興味深いのは、斎藤佑樹の起用法である。
 ご存知のように、まず、開幕投手に抜擢した。斎藤はオープン戦でさしたる成績を残していたわけではない。開幕は武田勝というのが常識だし、また当然でもあった。失敗したら、武田勝だって面白かろうはずがない。

 ところが、斎藤は開幕戦に勝ったばかりか、その後、順調に勝ち星を重ねる。だけど、栗山監督も、わかっていたはずである。今の斎藤のボールで、1年間勝ち続けられるはずがない。いずれはKOの連続になるだろう。だって、少なくとも投手のボールの質を見分けられる多くの野球ファンは、みんなそう思っていたのだから。

 案の定、斎藤が打たれ始めた時、例えば中田翔が2割を切っても4番に据え続けたように、「来季のエースを育成する」という立派な理由のもと、使い続ける選択肢もあったはずである。むしろ、きっとそうするのだろうと思った。
 ところが、きっちり二軍に落としたのである。このタイミングが見事であった。だからあえて“センス”という、根拠のない言葉を使って形容してみた。

 野村監督になかった栗山監督の柔軟性

 斎藤は二軍でも打たれ続けた。チームは埼玉西武と熾烈な優勝争いを演じている。今季は二軍で終わるのだろう。今、しっかりフォームを立て直すことが斎藤のためだ――そう思っていたら、なんとシーズン最終盤、斎藤は中継ぎ要員として一軍に戻っていた! 吉井理人投手コーチにいたっては「日本シリーズだけ活躍する投手だっているからね」と、不敵なことをつぶやいている。これでもし、斎藤がクライマックスシリーズで好投したら、もはやマジックの域である。

 例えば、広島カープの野村謙二郎監督は今年、3年目の堂林翔太を大抜擢したことで話題となった。二軍でもたいして打っていなかった選手が開幕からスタメンで出場し続け、一瞬だが首位打者の座にもついた(3日間だったかな)。6月には大活躍したし、ホームランも12本打っている。野村監督は堂林を育てた。さすがの慧眼――という評価も一部にはあるだろう。

 しかし、カープは8月に一時は4位東京ヤクルトに3.5ゲーム差つけて3位に躍進したのに、9月に大失速。9月下旬には逆にヤクルトに6.5ゲーム差をつけられての4位。クライマックスシリーズの夢は潰えた。この間、堂林は絶不調(最も、チームの野手全員が絶不調で全く点が取れず、負けるべくして負けたのだが)。打率もとうとう2割4分台まで落ち込んだ。規定打席到達者の中の後ろから2番目である(10月4日現在)。

 別に堂林一人の責任ではない。早い話が、だれも打てなかったのだから。むしろ3位になった6月から8月にかけての躍進は、堂林を含む若手や新外国人など新戦力に負うところが大きかった。しかしながら、8月後半から9月にかけてのカープの大失速と、堂林の不振(なにしろ4三振なんてのもありました)が、どこかでリンクしているとみて、そんなに間違っていないだろう。

 一方、斎藤の二軍落ちと、最終的に西武に競り勝った日本ハムの首位争いも、どこかでリンクしているのではあるまいか。堂林を全試合スタメンで使うことが、育成への近道である、という信念が野村監督にはあるのだろう。そういう側面があることは否定しない。しかし、そう思わせておいて斎藤を二軍に落としたような、あるいは二軍に落とさないまでもスタメンをはずすといったような、栗山監督的な発想の柔軟性、意外性はなかったとも言える。優勝を達成した監督と、クライマックスシリーズを逃した監督の岐路が、そこに潜んでいるのではないか。

 松坂に見るWBCの功罪

 ともあれ、人材を育成するというのは、難しい。
 メジャーリーグには、今季、大型野手が二人も出現した。一人は、エンゼルスのマイク・トラウト。21歳で史上最年少「30本塁打30盗塁」を達成した。もう一人は、ブライス・ハーパー。ナショナルズの19歳。「野球界のレブロン・ジェームズ」の異名をとる(レブロンはNBAのスーパースター)。

 トラウトは右、ハーパーは左だが、二人とも、下半身から始動して柔軟で美しいフォームで打つ。決して、筋肉ムキムキの上体に頼った力任せの打撃ではない。もともと、パワーに頼る打者の多い土壌でありながら、こうして時おり出現するスーパースターは、むしろ柔軟で、美しいフォームを身に付けているところが、メジャーの奥深いところなのだろう。

 ただ、日本には待っていればトラウトやハーパーのような才能が出現する土壌はない。投手は出現するかもしれないが、打者はともかく育成しなければならない。投手中心か、打者中心か、という、野球文化の違いである。その意味では、ついに開花し始めた観のある中田翔の存在は大きい。そして、彼については、4番を外さないことが正解だった。なにしろ、勝負所の後半で活躍したのだから。

 では、中田と斎藤のケースの違いは何か。斎藤は先発しては打たれているうちに、先発することにも、打たれることに慣れてしまったようにみえた。たとえば、8月後半から9月の堂林も、スタメンで出場することにも慣れ、凡打や三振を繰り返すことにも慣れてしまったように見えた。

 同じことは、レッドソックスの松坂大輔にもいえる。現在の松坂は、先発しても、打ち崩されることに慣れてしまったのではないだろうか。その点、中田は、いくら4番で結果が出なくても、それに慣れることがなかった。自分は必ず打てるようになる、という精神を保ち続けていた。

 10月4日、ヤンキース対レッドソックス最終戦を観た。松坂と黒田博樹の投げ合いである。と言っても、松坂は早々と5失点KO。日本野球が生んだ稀代のヒーロー松坂は、残念ながら本来の投球を取り戻すことができず、苦しい投球が続いている。彼がここまで自らの投球のメカニックを崩してしまった原因は、いろいろあるだろう。そのひとつとして、やはり4年前のWBCを思わずにはいられない。あの時、日本代表を背負って明らかに無理をしていた。おそらくは松坂もそれを望んだし、日本の野球ファンも彼の活躍を望んだ。そして、彼と我々の現在がある。

 折から、ヤンキースの地区優勝が決まった後、イチローが紹介してくれたデレク・ジーターのコメントが印象深い。「今日で練習試合は終わった」と言ったというのだ。これからのポストシーズンこそが本当の戦いだということだ。ペナントレースが練習試合ならば、その前に行われるWBCとは、彼らにとってなんなのだろう。ワールドシリーズに勝つ、ということだけを最終目標にすえる超一流メジャーリーガーの考え方が象徴的に伝わるコメントだった。

 山本浩二監督内定という報に接しながら、改めてWBCの功罪を思う。ただ、言えることがひとつある。WBCの監督には、選手育成という能力は必要ない。ただ、「勝つ」という資質だけが求められるのだが――。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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