岩村明憲(福島レッドホープス会長兼GM/愛媛県宇和島市出身)特別編最終回「WBC連覇をお膳立て」

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 コミュニケーションと「飲み」を組み合わせた「飲みニケーション」は、日本独自の文化や慣習といっていいだろう。
 
 
 プロ野球の世界でも、チームワークを高めることを目的に「飲みニケーション」が開かれることは、よくある。
 
 3大会ぶり3回目の優勝を果たした2023年WBCでは、チーム最年長のダルビッシュ有が音頭を取って準決勝のメキシコ戦前、マイアミで決起集会を開いた。その額は、700万円だったというから驚きだ。
 
 09年の第2回大会、2月の宮崎合宿で決起集会を提案したのは、内野手では唯一のメジャーリーガーである岩村明憲(タンパベイ・デビルレイズ=当時)だった。
 
「第1回大会は、僕も若くて先輩についていく感じだった。しかし2回目は、内野手ではガッツさん(小笠原道大)以外は全員が年下。“自分がしっかりやらなきゃ”という思いで、飲み会を開いたんです。
 この飲み会のお陰で、若い選手たちが、何を考えているのか、よくわかりました。お酒を飲めば性格が出ますからね」
 
 飲み会を通じて、野手の結束が高まった、と岩村は言う。
 
「WBCは、誰が出たとか出なかった、という大会ではない。先発も控えも関係なく、皆で守っていこう。誰かがケガをしたら、誰かがカバーしよう。それを皆で確認しました」
 
 侍ジャパンの指揮を執った原辰徳は、大会前、「イチローとオマエだけは(チームの)要として使っていきたい。だから、どういう状況になっても使い続ける」と明言した。これを受け、岩村は「この人を本当に男にしよう」と決意を新たにしたという。
 
 しかし、「9番」という打順は、望んでいたものではなかった。
 
「それはチーム事情もあるし、勝つためには誰かが犠牲にならないといけない。これが勝つための打順なのであれば、9番でも何番でもいいという思いはありました。ただ、プロ選手である以上、たとえば元チームメイトの青木(宣親)が3番を打って、自分が9番だったら、“アイツより下なのか”という気持ちもゼロではないですよ。だけど、最終的に日本が勝つならなんでもいい。青木が3番でどんどん打って走ってもらえるなら、そのほうがいいのかな、と自分を納得させていました」
 
 

執念の左前打

 
 1次ラウンドは9打数0安打。スタメンでノーヒットは岩村だけだった。
 
――不安はなかったのか?
「それはなかったですよ。ヒットが出ない時は“いつかは打てる”って思っていますから。ヤクルト時代に30打席近くノーヒットだった経験もありますし、バッティングは水物なので、打てる時もあれば打てない時もある。確かに一発勝負の短期決戦なので、ここで打たないと意味がないんですが、9打数0安打でも10打数0安打でも、次の試合で3安打、4安打する可能性がある。そう考えていたので、特に心配はしていなかった」
 
 言葉通り、2次ラウンドに入ってから快音が戻ってきた。「初戦のキューバ戦で速球派のサウスポー、アロルディス・チャップマンからインコースを押っつけてレフト前にヒットを打った。あれが大きかった」と岩村は振り返った。
 
 ドジャースタジアムでの決勝の相手は宿敵・韓国。この大会、韓国とは1次ラウンド、2次ラウンドともに敗れていた。とりわけ2次ラウンドは、勝った韓国の選手たちがペトコ・パークのマウンドに旗を立てるという非紳士的な行為を行ない、日本の選手たちを憤慨させた。
 
 さすがに3度も続けて負けることはできない。試合は1点を争う息詰まる熱戦となり、3対3で延長に入った。
 
 10回表、先頭の内川聖一がライト前ヒットで出塁。続く稲葉篤紀が犠牲バントで送り、8番の岩村に打席が巡ってきた。マウンドにはサイドスローのイム・チャンヨン。3球目のストレートをレフト前に持っていった。
 
「バッターボックスに入った時は、僕がランナーを還すつもりでした。イチローさんに回すつもりはなかった。ただ、ちょっと飛んだコースが悪くて打球が強かったんで、内川の脚ではホームに還れなかった。一塁ベースを回った瞬間に“これなら絶対イチローさんは打ってくれる”と確信しました」
 
 すかさず二盗。2死二、三塁。千両役者を迎えるお膳立てをした。
 
 韓国ベンチは1番イチローを歩かせずに勝負に出た。結果的には、これが裏目に出た。8球目のストレートをセンター前へ。2人が還り、これで5対3。9回からマウンドに上がっていたダルビッシュが最後を締め、苦しみながらも日本は連覇を達成した。
 
「06年の優勝は、途中で肉離れをしてベンチから(世界一の瞬間を)見届けた。だが09年はフル出場しての優勝。内野手のメジャーリーガーは僕1人だっただけに、責任を果たせたという思いが強かった。その意味で最初の優勝とは違った感慨がありました」
 
 岩村は、しみじみと語った。あれから、もう20年がたつ。
 
(おわり)
 

<岩村明憲(いわむら・あきのり)プロフィール
1979年2月9日、愛媛県宇和島市出身。宇和島東高から97年ドラフト2位でヤクルトへ入団。00年にはサードのレギュラーとなり、ゴールデングラブ賞を初受賞。翌年、ヤクルトの日本一に貢献した。04年に自己最多の44本塁打をマークしたのを皮切りに、3年連続で打率3割、30本塁打以上を記録。ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞6回の実績を残し、06年オフにポスティングシステムでメジャーリーグに挑戦、デビルレイズ(現レイズ)に移籍した。慣れないセカンドへのコンバートを経験しながら、08年には1番打者としてチームを牽引。チームを球団創設初のリーグ優勝に導いた。WBCでは06年、09年と日本代表のメンバーとして連覇を果たしている。10年はパイレーツへ移籍したが、シーズン途中に戦力外通告を受け、9月にアスレチックスへ。11年からは5年ぶりに日本球界に復帰し、楽天でプレー。13年からの2年間は古巣ヤクルトに在籍した。15年からは独立リーグのBCリーグの福島ホープス(現・福島レッドホープス)の選手兼任監督に就任。17年限りで現役引退。現在は会長兼GM。NPB通算成績は打率2割9分、193本塁打、625打点。メジャーでの通算成績は打率2割6分7厘、16本塁打、117打点。右投げ左打ち。

 

(文/二宮清純)

 

 

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