第291回 ボリビアでの新たな挑戦 ~ホルヘ・ヒラノVol.26~
1986年、ホルヘ・ヒラノはペルーのスポルティング・クリスタルからボリビアのクルービ・ボリーバルへ移籍した。
近年は湖面に映し出される美しい青空で知られるウユニ塩湖が有名であるが、ボリビアは南米大陸で最も目立たない国である。ただ、その地形は驚くほど変化に富んでいる。アマゾン川流域の熱帯、砂漠、そして荒々しいアンデス山脈——。首都は標高3599メートルのラパスだ。
この国の歴史は、貴金属と密接な関係がある。まずはインカ文明が、そして17世紀からはスペイン人の入植者が銀を採掘した。スペインの植民地時代は300年に及ぶ。独立は1825年。国名は、独立戦争の英雄であるシモン・ボリーバルにちなんでボリビアと名づけられた。
ボリビアで初めてのサッカークラブは、1896年にチリ人のレオンシオ・スアスナバールが設立したオルル・ロイヤルだった。その後、1908年にザ・ストロンゲストが続いている。いずれもラパスを本拠地としている。国の中心であるラパスが峻嶺の中にあるせいか、サッカークラブが国中に広がるのは遅かった。
国内リーグが始まったのは、1914年のことだった。参加したのはラパスのクラブのみ。そして1925年にクルービ・ボリーバルが設立された。
ボリーバルの名もやはりシモン・ボリーバルにちなんでいる。クラブの色は水色と白。2021年からマンチェスター・シティなどを運営するシティ・グループのパートナークラブとなっている。
先見の明があったクラブオーナー
ボリーバルをザ・ストロンゲストと並ぶ国内の人気クラブにしたのは、72年に会長となった、“ドン・マリオ”ことマリオ・メルカードの力が大きい。マリオ・メルカードは1928年に外交官だった父の赴任地、パラグアイの首都アスンシオンで生まれた。オルーロやポトシの鉱山で財をなし、ラパス市長、国会議員も務めている。資金力に加えて目利きにも優れており、国内外の能力の高い選手をボリーバルに集めた。
ボリビアのジャーナリストであるマルコス・メヒアはこう証言する。
「彼の口癖は、ボリーバルには最高の選手だけを集める、だった。事業で成功していた彼は気前よく資金を投じた。基本は各国の代表クラス。ボリビアの他、アルゼンチン、そしてペルー。資金力だけでなく、彼は先の見える経営者でもあった。歴代で最良の会長だった」
ヒラノを獲得したのもマリオ・メルカードの指示だったという。
「ボリーバルがペルー代表と練習試合をしたとき、彼がコキ(ヒラノの愛称)に目を付けた。ドン・マリオはこう言った。この選手はボリーバルに連れていくと」
前年、ボリーバルはアルゼンチン代表経験もあるカルロス・アンヘル・ロペスと契約していた。
カルロス・アンヘル・ロペスはアルゼンチンのリーベル・プレート、アルヘンティーノス・ジュニア、エストゥディアンテス、ボカ・ジュニアなどでプレーした左利きのミッドフィールダーである。アルゼンチン代表として79年のコパ・アメリカに出場。彼の名がそこまで知られていないのは、8歳年下に同じ左利きのディエゴ・アルマンド・マラドーナがいたからだ。アンヘル・ロペスと組ませる俊足のウイング——それがホルヘ・ヒラノだった。
ヒラノはまず一人でラパスに入った。
「ラパスに着いて、エル・プラド通りにあるホテルに泊まった。クラブの人間からは、外を歩いたりせずに今日は休んだほうがいいと言われた。一日中、何もせずベッドに横になっていた。翌日、クラブの人間と一緒に練習場に行った。初めて練習をしたのはその翌日だった」
高山病との闘い
エル・プラドはラパスのメインストリートである。背の高い木々が並ぶ遊歩道があり、カフェや銀行、ホテルが集まっている。
クラブの人間がまずは休んだほうがいいと言ったのは、高山病対策だ。
高山病は一般的に2500メートル以上の高地で身体が適応できない症状を指す。標高が上がると気圧が下がり、身体への酸素の取り込み量が減る。その結果、脳や身体が低酸素状態になり、様々な症状が出る。軽症の場合は、頭痛、吐き気、めまい、倦怠感。重度になると意識障害、歩行や呼吸困難に陥る。
「最初の練習は高地に慣れるための軽いものだった。それでさえこなすのが大変だった。ベッドから起き上がれなくなり、チームのドクターに来てもらった。2日間ほど寝込んでいた」
多少身体が楽になり、数日間練習をした後、ペルーに戻った。リマで契約書にサインをしてから荷物をまとめて、再びラパスに入った。まずは軽い練習から始めて、高地に身体を慣らすと聞かされていた。フィジカルコーチたちによると、高地に身体を合わせるのには数ヶ月はかかるのが普通だという。しかし、着いてみると話が違っていた——。
(つづく)
田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)
代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。