第292回 ほろ苦かったボリビアデビュー ~ホルヘ・ヒラノVol.27~

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 1986年4月、ボリビアのクルービ・ボリーバルはペルーのスポルティング・クリスタルとホルヘ・ヒラノの「パス」の買取交渉を行っていた。

 

 この当時、サッカー界には選手が受け取る年俸とは別に「パス」、ブラジルでは「パッセ」と呼ばれる保有権が存在した。パスを保有するクラブ、あるいは個人がその選手の移籍に関する権利を有する。

 

 ヒラノの場合は、スポルティング・クリスタルだった。ヒラノを高く評価していたボリーバルは、“レンタル”ではなく、完全移籍を望んでいた。ボリーバル会長のマリオ・メルカードが裕福な実業家で資金が豊富だったこともあるだろう。

 

 ボリビアのジャーナリスト、マルコス・メヒアによると「ボリーバルの役員だったマウロ・クエジャとヘルマン・ホルダンが札束を持ってリマに行き、スポルティング・クリスタルからヒラノを買い取ろうとした。値段は分からないが、当時としてはかなり高額だったと聞いている」という。

 

 取引はアメリカドルだ。不安定なペルー経済に悩まされていたスポルティング・クリスタルにとっては願ってもいない話だったはずだ。しかし、交渉はまとまらず、買取オプション付きの1年間のレンタル契約となった。

 

 ヒラノは、4月7日にヘルマン・ホルダンと共にラパスに入り、ボリーバルの練習に参加した。しかし、前回の連載で触れたように、高山病で2日間寝込むことになった。ボリビアのクラブ、リトラルとのプレシーズンマッチに前半だけ出場したが、プレーに精彩を欠いた。そして試合後、リマに一時帰国している。

 

 ヒラノはこう振り返る。

「契約金を受け取り、荷物をまとめてリマからラパス行きの飛行機に乗った」

 

 ペルーの首都、リマからボリビアのラパスまでは直線距離で約1080キロ。東京から稚内とほぼ等しい。飛行機で1時間40分ほどの距離だ。二つの都市の間にはアンデス山脈があり、海に面したリマと標高約3600メートルのラパスの高度差は激しい。

 

 空港からスタジアムへ直行「すぐに着替えろ」

 

 

 ラパスは、深い谷に形成され、すり鉢のような形をしている。平地が限られているため、人口密度は高い。谷底に官公庁、繁華街、富裕層の住宅、斜面に住宅地、谷の上の「エルアルト」(高い場所)という街に、労働者たちが住んでいた。

 

 ラパスの国際空港はこのエルアルトにある。エルアルトの標高は約4061メートル。世界で最も高い場所にある空港の一つだ。

 

 エルアルトに到着したのは4月17日だった。この日は、ボリーバルの本拠地エスタディオ・エルナンド・シーレスでウルグアイの強豪クラブであるナシオナルを迎えた親善試合が組まれていた。

 

 これは会長のマリオ・メルカードの意を受けた実業家がアルゼンチン、ウルグアイに飛び、まとめてきた試合だった。リベルタドーレス杯の準備のためだ。

 

「試合は夜の8時か9時からだった。ぼくは飛行機を降りるとすぐにスタジアムに向かった」

 

 ラパスの4月は、雨季から乾季へと移り変わる時期だ。日中、太陽が照っている間は、暖かい。しかし、太陽が落ちると一気に冷え込む。空が澄んでいるため、夕刻には濃い青色の空にアンデスの山々が鮮明に見えた。

 

 エルナンド・シーレスは、谷の中腹のミラフローレス地区にある。コンクリート造りの巨大な楕円式の競技場だ。スタジアムの収容人数は4万から5万人。ただし、この日は火曜日ということもあって観客は5300人ほどだった。

 

 スタジアムに到着すると、監督のバラック・モイゼスが出迎えた。そして彼はこう言った。

 

 ——コーキ、すぐに着替えろ。今日の試合に出るぞ。

 

 ヒラノは驚いてこう返した。

「プロフェ(プロフェッソール、先生の略、バラックの愛称)、ぼくはしばらく練習さえしていない」

 

 ヒラノのボリーバルへの移籍は大きく報じられていた。その期待が高まっていたのだ。

 

 目標はリベルタドーレス杯での上位進出

 

「リマでは全く身体を動かしていなかった。バラックに“身体ができていない、とてもプレーできる状態ではない。休みだったのでずっと煙草も吸っていた”と正直に言った。バラックは“少しだけでいいから試合に出ろ”と」

 

 ボリーバルは試合開始からナシオナルに押され、前半に失点。さらに得点を奪われてもおかしくない場面が続いた。

 

 残り15分になったとき、バラックはヒラノをピッチに送り出した。

「ロングボールが飛んできたので、走った。40メートルぐらいかな。ボールを止めてパスを出したが、その後、呼吸が苦しくて動けなかった」

 

 ヒラノの姿を見て喜んでいる観客がぼんやりと視野に入った記憶がある。

 

 試合後、ヒラノは批判されることになったという。

 

「バラックが連れてきたヒラノは痩せ過ぎだ。使い物にならないと散々、叩かれた」

 

 翌日の新聞『HOY』では〈ナシオナルに教えを受ける〉という見出しの記事が掲載されていた。その中でヒラノについてこんな言及がある。

 

〈ヒラノは空港から直接スタジアムに来たのだから、これ以上を求めることはできない。少なくとも今回は〉

〈ヒラノは移籍交渉の後、リマからラパスに到着した。恐らく夕食でもとりたい気分だったにも関わらず、緊張感のある試合に投入された〉

 

 控え目ではあるが、棘がある——。

 

 ヒラノは高額のお金を払って獲得した外国人選手であり、それに見合った結果を求められていた。ボリーバル及び会長のマリオ・メルカード、そしてサポーターが望んでいたのは国際的な名声だ。南米大陸のクラブチームナンバーワンを決めるリベルタドーレス杯での上位進出である。

 

 リベルタドーレスの初戦は4月27日。そこまでに高地に身体を合わせ、チーム内、そしてサポーターの信頼を勝ちとらなければならなかった。

 

 この日、リベルタドーレス杯のメンバーが登録されている。背番号17番がヒラノに与えられた。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。最新刊は、「横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか」(カンゼン)

代表を務める(株)カニジルは、鳥取大学医学部附属病院一階でカニジルブックストアを運営。とりだい病院広報誌「カニジル」、千船病院広報誌「虹くじら」、近畿大学附属病院がんセンター広報誌「梅☆」編集長。

 

 

 

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