マンチェスター・ユナイテッド(マンU)の名将、サー・アレックス・ファーガソンは、海外でも例外中の例外の指揮官といえる。
 マンUを26年間にわたって率い、UEFAチャンピオンズリーグを2度、UEFAカップ・ウィナーズ・カップを1度、イングランド・プレミアリーグを12度制している。これほど長期に渡って同一チーム、しかも名門を率いた例は寡聞にして知らない。
 マンUの監督に就任する以前は、母国スコットランドのアバディーンの監督として、決して裕福でないクラブに、リーグ3回、カップ4回、UEFAクラブウィナーズ・カップ1回の優勝をもたらしている。

 ファーガソンの優秀性は、獲得した数多くのタイトルで証明できるが、育成能力も際立っている。
 強烈なリーダーシップを発揮して、ポール・スコールズ、ライアン・ギグス、デヴィッド・ベッカム、ニッキー・バット、ガリー・ネビル、フィル・ネビルらを育て上げた。

 ファーガソンが育てたこれらの選手たちは“ファギーズ・フレッジリングス”(ファーガソンのひな鳥たち)と呼ばれ、抜群の結束力を誇った。
 スコールズがクラブに来たのは12歳の、ギグスは14歳の時だから、「鉄は熱いうちに打て」という指導が実った証左と見ていいだろう。

 10年ほど前のことだ。リーグ優勝を争う緊迫した戦いが続くなか、リーグ戦の合間に若手選手が休養命令を無視して遊んでいるという情報を、ファーガソンはキャッチした。
 さて、指揮官はどうしたか?

「私の頭の中は怒りでくすぶり始めた。居ても立ってもいられず、そそくさとその場を辞し、マンチェスターまですっ飛ばしてまっすぐシャープ(元イングランド代表)の家に向かったが、これがまさに“絶好”のタイミングだった。屋内は音楽と女性たちであふれ、何人かの練習生もそこにいた。もちろん、パーティーはまもなくお開きとなった。私がいくつかのドアとその裏面を蹴り飛ばしたあとで……」(アレックス・ファーガソン著『監督に日記』NHK出版)

 監督は親も同然――ファーガソンは言い、続ける。
「選手としてでなく、人間としても正しく育つための準備も行います。規律や決断力、そして自己犠牲の精神などを身につけるのです」

 ヨーロッパのクラブはマンチェスター・ユナイテッドに限らず、若年層の教育機関の整備が進んでいる。

 たとえばイングランドにおいてはプレミアリーグ所属のクラブを中心に、30以上のクラブがアカデミーを持っている。世界中のビッグクラブが虎視眈々と“金の卵”を狙っている状況下、アカデミーを持たないことには人材の供給は困難になっているのだ。

 マンU以外のクラブに目を移すと、アーセン・ベンゲル率いるアーセナルは1999年、約17億円をかけてフランスモデルの育成センターを建設した。
 また、これまでにロビー・ファウラー、スティーブ・マクマナマン、スティーブン・ジェラードをはじめイングランド代表を数多く輩出してきたリバプールも、アカデミーには力を注ぎ、99年にはグラウンド10面を擁する施設をオープンさせている。

 先に紹介した“ファギーズ・フレッジリングス”も、クラブのユース育成プログラムによって鍛えられた選手たちだ。

 これらのビッグクラブは育成機関で選手の指導にあたるだけではなく、語学や歴史、科学をはじめとする教育も行う。クラブのなかに学校があると考えるとわかりやすい。

 ある意味、マンチェスター・ユナイテッドの顔であるファーガソンは、もちろん本来は、サッカーの監督だが、時には親であり、時には教師でありと、一人三役を担っているのである。

<この原稿は2002年発売の『人を動かす勝者の言葉』から抜粋・一部加筆修正したものです>
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