「意識の差が結果の差」――父の教えを胸に歩んだレスリング人生 ~登坂絵莉氏インタビュー~
リオデジャネイロオリンピックのレスリング女子フリースタイル48㎏級金メダリストの登坂絵莉さん。多くの人に感動を与えた決勝戦の大逆転勝利は、愚直な努力の積み重ねの結果だった。勝利の方程式について、二宮清純さんと語り合う。

二宮清純: 引退して4年がたちましたが、生活は変わりましたか。
登坂絵莉: 変わりましたね。現役時代はレスリングだけに集中してきましたが、今は子育てをしながらいろいろな仕事もさせてもらっています。
二宮: レスリングを始めたきっかけは?
登坂: 小学3年の時、元レスリング選手だった父に連れられてジュニア教室を見学に行ったんです。そこで子どもたちがバック転をしているのを見て、自分もバック転ができるようになりたくて始めました。
二宮: 確かに、レスリング教室では運動能力の向上によって、バック転やバック宙もできるようになる子もいると聞きます。高校は、地元の富山県を離れ、レスリングの名門・至学館高校(愛知県)に進学されました。
登坂: 吉田沙保里さん(五輪3連覇)と伊調馨さん(五輪4連覇)の出身チームということで、至学館を選びました。
二宮: でも、高校卒業後は警察官になろうと思っていたそうですね。
登坂: 入学する前は、「先輩たちのように五輪で金メダルを取るぞ」と思っていました。ところが、いざ入学してみるとあまりにも先輩たちが強すぎて、どうあがいてもこの人たちには勝てないなと思った時に、心が折れました。
二宮: レスリングをやめようと思ったのですか。
登坂: やめたいなとは思いつつ、毎日の練習には取り組んでいて、結果的には全国高校女子選手権で1年生と2年生の時に連覇しました。しかし、五輪を目指すとなると大学生や社会人の先輩にも勝たなければなりません。さすがにそれは無理だと思って担任の先生に、「レスリングは高校でやめて、富山に帰って警察官になります」と言ったのです。
二宮: お父さんは、がっかりされたのでは?
登坂: 父からはメールが来て、「進路は絵莉の好きなようにしてください。それではケガに注意して、毎日誰よりも努力して、絵莉が一番になれる日を願っています」と。「もう願わないで!」って思いました(苦笑)。
二宮: そのメールを見て続けようと?
登坂: 毎週のように県外に遠征していた頃、少しでも交通費や宿泊代を節約しようと、父はいつも車を出してくれました。それだけじゃなくて、夜はアルバイトをしてまで私にレスリングをやらせてくれた。そのことを思い出して、あと4年間がんばろうと思って大学進学を決めました。
二宮: 転機となったのは何だったのでしょうか。
登坂: ロンドン五輪が開催された2012年ですね。この年は巡り合わせがとても良かった。五輪に出場する選手は世界選手権に出場しないため、日本国内の選考会にエントリーしなかった。さらに、日本で2番目に強かった選手が体調不良で予選会に出られなくなり、そこで優勝した私が世界選手権に行けることになったのです。世界選手権では5人ほどどうやっても勝てないと思う選手がいたのですが、全員が別ブロックに。その結果、私は決勝まで進み、世界選手権で準優勝することができました。この時に初めて、世界一という目標にピントがバチッと合うような感覚になりました。
二宮: その翌年から世界選手権3連覇ですからね。まさにスイッチが入った。
登坂: それから3年半、一度も負けることなくリオ五輪の代表に内定しました。
二宮: そうして臨んだリオ五輪ですが、よく「初の五輪は地に足がつかない」と言われます。やはり緊張しましたか。
登坂: それがほとんど緊張しなかったんです。代表に決まった時、沙保里さんが「五輪には魔物がいると言われるけれど、五輪だからといって会場が特別に広くなるわけでもないし、戦う相手が変わるわけでもない。何なら、普通の大会なら30~40人いる選手が16人に絞られて少ないわけ。結局、五輪の魔物というのは、自分自身なんだよ」とアドバイスしてくれました。
二宮: 吉田さんならではのアドバイスですね。
登坂: ただし怖かったのは、海外の選手たちが死に物狂いで勝ちに来たこと。それは世界選手権とは全然違うもので、ラフプレーも反則も多かった。日本は世界選手権に焦点を合わせ、その先に五輪があるのですが、海外の選手は五輪に焦点を合わせてくる。金メダルを取れば、人生が一変しますから。その死に物狂いの感覚がすさまじかった。
二宮: リオ五輪の決勝の相手は、マリヤ・スタドニク選手(アゼルバイジャン)。前半はかなり押され気味でしたね。
登坂: 最初は見合う感じになるだろうと予想していたのですが、いきなりパワー全開で来られて、その勢いに押されてしまいました。
二宮: 登坂さんは、やはり得意の片足タックルを狙っていたのですか。
登坂: はい。ただ、相手は体が強いので本当にいいタイミングで入らないと、逆にカウンターでバックを取られる可能性があります。当時の私は左足の母趾球をケガしていて、試合前に痛み止めを打って出場していました。だから痛みはなかったものの、体が痛みを覚えているのか、タックルをしようと思っても反射的に体が前に出なかったですね。
二宮: 試合は0-2で負けていましたが、第2ピリオド2分過ぎに1点を返すなど徐々に流れが変わっていきました。
登坂: 相手はスタミナが切れた感じでした。息が上がっているのが分かりました。
二宮: 終了間際の数秒で、相手の右足を取ってからバックに回り、見事に3-2で逆転勝利。あれは狙っていたのですか。
登坂: 一番得意な形。相手もバテて動けなくなっていたので、正直あれしかなかった。
二宮: 人生最高の瞬間だったでしょうね。
登坂: もう最高でした。安堵とうれしさで胸がいっぱいになりました。
(詳しいインタビューは5月1日発売の『第三文明』2026年6月号をぜひご覧ください)

<登坂絵莉(とうさか・えり)プロフィール>
1993年8月30日、富山県高岡市出身。階級はフリースタイル48kg級。国体で優勝経験のある父の勧めで、小学3年時にレスリングを始める。中学3年時に全国中学生選手権で優勝。至学館高校へ進学し、2010年、11年の全国高校女子選手権で2連覇を達成。卒業後は至学館大学へ進み、12年から15年まで全日本選手権4連覇。13年、世界選手権(ブダペスト)初優勝。以降、15年まで3連覇を達成。16年のリオデジャネイロオリンピック決勝では、3-2の大逆転で勝利し、悲願の金メダルに輝いた。20年に総合格闘家の倉本一真と結婚し、翌年、男児を出産。22年に競技の第一線から退くことを表明。現在は、女子レスリングの解説やタレント、スポーツコメンテーターとして活躍中。