ヨーロッパでプロサイクリストとして活躍する別府史之選手。「ツール・ド・フランス」、「ジロ・デ・イタリア」といった世界の頂点のロードレースで活躍し、間違いなく日本を代表するアスリートの一人である。自転車好きならもちろん、そうでなくてもその顔や、名前を目にしたことがある人も多いだろう。そんな彼がレースに走るときにいつもビーズを身に着けているのをご存じだろうか? “スポーツ”と“ビーズ”。あまり結びつきがないように思える組み合わせだが、そこには彼なりの思いがある。そのビーズは彼の子どもへの思いと、自分自身を高めるためのアイテムでもあるのだ。
(Photo: Kei TSUJI)
 日本の小児がんを患う子どもたちとその家族に社会的支援を行なっているNPO法人「シャイン・オン! キッズ」では、「ビーズ・オブ・カレッジ」という活動を行なっている。小児がんに苦しむ子どもたちが入院中の闘病の記録をビーズという形で残し、その中に「頑張った」記録や「褒められた」記憶も残すというものだ(ここではその活動の詳細は割愛するので、興味のある方は「シャイン・オン!」のサイトを参照ください)。さらに、「チーム・ビーズ・オブ・カレッジ」というものもある。スポーツ選手などが、自分たちが頑張った象徴として身に付けていたビーズを「ご褒美ビーズ」として子どもたちに手渡されるのだ。別府選手がレース中に付けているビーズは、その「ご褒美ビーズ」で、子どもたちに勇気を与えているのだ。

 別府選手がチャリティ活動に関わりはじめてから、もう5年になる。「メイク・ア・ウィッシュ」というボランティア団体からチャリティ活動に参加してほしいとオファーを受けた。当初は「どんなことをすればいいんだろう?」というレベルだった別府選手だが、レースで受ける応援とはまた別の「やりがい」のようなモチベーションが湧いたことで意識を変えたという。また、この「チーム・ビーズ・オブ・カレッジ」は、彼自身の成長を実感できたプログラムだった。小児がんに苦しむ子どもたちに頑張ることを伝えるための活動が、「子どもたちにカッコ悪いところ見せられない」と、結果的にそれまで以上にモチベーションを高く保つことができたのだ。また、実際に病気と闘っている子どもたちやその親御さんたちと会った時、「このビーズがあったから痛くて辛い治療にも耐えられた」と聞かされ、チャリティの意義、そして自身がやることの意味が理解できたという。

 昨年の東日本大震災時には「You are NOT alone ひとりじゃない」という活動を自ら始動した。震災直後、「どんなに小規模でも何か今すぐできることを」、と考え、自身の持ちうる全てのメディア、SNSを駆使してメッセージを伝え、その後メッセージ入りのリストバンドを販売し、その収益を寄付した。すると、バンドは完売。少ないながらもスピーディーに被災地への寄付を実現できた。そしてこの時、自分が知名度があり、メディア的機能を果たせるアスリートだったからこそできること、それを用いて社会に貢献できることがあるということに気づき、別府選手自身の中でチャリティに対する意味づけが確信的なものとなった。

 その後も、自身のイベントでチャリティオークションをメニューに組み込むなど積極的にチャリティに取り組んできた別府選手。プロサイクリストは国内に沢山いるが、彼ほどチャリティに積極的な人も珍しい。その背景にはどうやら海外チームでの活動が影響しているようだ。海外では、個人でチャリティイベントを催したり、財団的なものを立ち上げたりする選手は少なくない。そして、いずれも自転車競技の世界にとどまらない広がりを作っている。そのことを目の当たりにしたことに影響を受けているようなのだ。

 そして、そうした活動をするからには、チームの一員としてではなく個人として責任ある言葉やメッセージを発信しなければならない。そこで言動についても格段とプロ意識が高まった。さらにそのプロ意識が、走りにも反映されてきたのである。つまり海外のチャリティイベントの熱心な取り組みを目の当たりにし、その活動を模倣しているうちにプロ意識まで変わり、パフォーマンスにも影響したというわけである。彼のプロ意識の高い走りは、意外にもチャリティ活動がその要因となっていたのだ。

 今やその走りは世界標準である別府選手は、チャリティに関しても世界標準となった。これからも走りとチャリティ活動でプロアスリートとしての手本を見せてくれるだろう。それを見た若い選手はもちろん、ファンの中にもそんな意識が広まることこそ、プロスポーツの一つの意義なのかもしれない。


【別府史之(べっぷ・ふみゆき)】
プロサイクリスト。オリカ・グリーンエッジ所属。1983年4月10日神奈川県茅ヶ崎市生まれ。高校卒業後フランスに渡り、2005年に日本人として初めてUCIプロツール選手となる。09年、日本人として13年ぶりにツール・ド・フランス出場し、日本人初の完走。オリンピックは北京大会に続き、ロンドン大会に出場。個人ロードレースで22位、タイムトライアルロードレースで24位の結果を残した。
>>Official Site

参考
■メイク・ア・ウィッシュ
1980年にアメリカ合衆国のアリゾナ州で発足した世界最大の「願いをかなえる(wish granting)」ボランティア団体。その目的は「難病と闘う子どもが持つ夢の実現の手伝いをすること」。
>>メイク・ア・ウィッシュ ジャパンHP

■シャイン・オン! キッズ
 小児がんを患う子どもたちとその家族に社会的支援を提供する特定非営利活動法人(NPO法人)。
>>シャイン・オン! キッズHP

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦している。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)が発売中。
>>白戸太朗オフィシャルサイト
>>株式会社アスロニア ホームページ
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