「自分の身体がいつまでも自由に動く」と思っているのは、若い間だけ。加齢とともに、いろいろと不具合が出てきて現実を思い知るのは人類皆同じである。何の痛みも、何の制限もなく動けて、食べられることがどんなに幸せかというのは、それを失いかけて、もしくは失ってから気付くものだ。
(写真:80歳以上の部の表彰。黄色いシャツの方はなんと82歳!)

 

 スイム3.8km、バイク180km、ラン42.2kmを続けて行うアイアンマン・トライアスロン。トライアスロンを志す者なら、必ずと言っていいほど憧れの競技だ。そんな世界的人気のアイアンマンシリーズの世界最高峰の舞台が、毎年10月に開催される「アイアンマンハワイ・ワールドチャンピオンシップ」。世界各地で開催されているアイアンマンで好成績を残したものだけが、この大会の参加資格が得られる。当然、この大会に出場する選手は心身ともに高いレベルを維持している。

 しかし、どんなに気を付けていても人生においてアクシデントというのは起こるもの。今年も私の友人が、レース2日前にバイクで落車し、肩の腱を痛めるというハプニングがあった。彼も長年トライアスロンをやっており、40代という年齢を考えると、かなり高いレベルをキープしている。そしてこのレースで走ることが最大の目標であったことは言うまでもない。そのため、不意のアクシデントに彼は激しく落ち込んだ。前日に会った時には「スタートだけでもしたいんだ」と語っていた彼の悲しい表情に、かける言葉も見つからなかった。ところが翌日のアイアンマンのレース中、私が最終種目のランでの折り返し地点を過ぎて走っていると、前から片手を吊り下げた選手が走ってくる。まさかと思ったが、近づいてくると、こちらに笑顔でVサイン。なんと友人は片手で泳ぎ、なんとかバイクをこなして走っていたのだ。もちろん記録的にはいいはずもないが、あの状態でアイアンマンもこなそうとする姿勢に、沿道からも温かい声援があったことは想像に難くない。
(写真:アイアンマンのレースに臨む筆者)

 出場者の中には、こんな人もいた。米国人のカレン・エイデロットさんは66歳。40代から始めたトライアスロンはめきめきと上達し、数年後にはアイアンマンに出場するようになった。アイアンマンハワイにも何度か出場し、アスリートとして円熟味を増していた2006年に車の事故に遭ってしまう。大怪我をして、2年後に社会復帰した時には片足はなくなっていた……。「もう好きなスポーツはできない」と思うのが普通だが、この程度で彼女は屈しなかった。義足をつけてリハビリを開始し、歩けるようになると、次は走るにチャレンジし、その次はスイムと、どんどん自分の世界を広げていった。もちろん目標はアイアンマン。健常者でも大変なこのスポーツに彼女は、ハンディキャップを抱えるようになっても挑もうとしていたのだ。そして今年、北米のレースで見事な記録で完走し、それによりハワイ大会の出場権を獲得した。それもフィジカルチャレンジ(アイアンマンの世界ではハンディキャップ部門をこのように呼ぶ)のカテゴリーではなく、通常の65歳以上のカテゴリーでの出場権なのだ。その陰には想像以上の努力があったはずだが、爽やかにスタート地点に立つ姿はあまりにも美しかった。

 千葉県に住む稲田弘さんは80歳。70歳から始めたトライアスロンだが、10年経って、ハワイアイアンマンの舞台に到達した。昨年は初出場で途中リタイア、今回は完走を目指して2度目のチャレンジだ。80歳というのは日本人男性の平均寿命をも上回る年齢で、生きているだけでも素晴らしいのに、17時間動き続けるのである。それもあの厳しい条件の中を我々と同じ種目、距離をこなすのだ。「やればできるじゃないか!」というのが口癖の稲田さんは、ハワイでも颯爽と駆け抜け、今年はなんと80歳以上のカテゴリーで優勝したのだ。この年代での完走自体、日本人初の快挙であり、さらには大会新記録樹立というおまけまでついてきた。「僕なんか白戸さんと比べたら、まだキャリア10年のペーペーですよ。」と謙虚な姿勢はいつもながらだが、そのバイタリティーには恐れ入る。人間の限界というのは、どこにあるのか。今まで持っている我々の概念など、所詮思い込みなのではないだろうかという感じさえしてくる。「また頑張ります!」と軽快に稲田さんは去って行った。
(写真:80歳の新記録で優勝した稲田さん)

 3人の顔を思い出すと、本当に爽やかに輝いていた。自分がやりたいことを一生懸命努力し、やり遂げる。一般的には難しい状態であっても、自分自身の強い意志がそれを可能にしている。身体に起きたネガティブな変化を、どれだけ前向きにとらえられるか。それを生きざまで見せてくれている典型だ。「この人達は特別だから」という言葉で片付けるのは簡単だ。だが、輝き続けるのはその状態ではなく、その姿勢にあることがよく分かる。言い訳するのはいつでもできる。「その前にやることがあるよね」と、今年もハワイアイアンマンで喝を入れてもらった。

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦している。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)が発売中。
>>白戸太朗オフィシャルサイト
>>株式会社アスロニア ホームページ


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