戦後最大のヒーローである力道山が東京・赤坂のナイトクラブで暴力団員に腹部を刺されたのは49年前の12月8日である。1週間後の15日、その傷が原因で力道山は絶命した。享年39だった。
 力道山の次男でプロレスラーの百田光雄は父が刺された日のことを鮮明に覚えている。その時、15歳。「自分の部屋にいたところ、突然、“お父さんが刺されて、皆さん集まっているから”と言われて、父の部屋に行きました。既に大勢の人がいた。刺されたとはいえ、父はいつもと変わらない堂々とした様子でした。挨拶をすませて自分の部屋に戻り、窓から通りをながめると黒山の人だかりができていた。後でわかったことですが、実は刺した相手が謝りに来ていたんです…」

 傷は腸にまで達していたが力道山は痛がるどころか自らの身に何が起きたかすら話さなかったという。「平然と居間のテーブルの前に座っていました。スターとしての意地があったのでしょう。日頃から私は一度も父がだらしなく崩れた姿を見たことがありませんでした。どんなに遅く帰ってきても、朝は時間どおりに起き、部屋で筋トレをやり、シャワーを浴びてから家族の前に姿を現す。その徹底したプロ意識と日々の努力が力道山をつくっていたのだと思います」

 厳格な力道山が一度だけニコッと笑ったことがある。家族で出演したテレビ番組で百田少年が「将来はプロレスラーになりたい!」と無邪気に言い放ったその時だった。「あの瞬間の父の笑顔が忘れられなくて僕はプロレスラーになったんです。亡くなった父を喜ばせたい一心で…」

 小柄ながら気風のいいファイトで人気を博した。前座の主役として「6時半の男」と呼ばれたりもした。デビューから42年、64歳になった今も百田は現役を張り続けている。

「来年は息子の力もデビューする予定です。本人には“おじいちゃんの代のプロレスファンにも見てもらいたい”という夢があるようです。父がプロレスをつくって、はや60年。紆余曲折はありましたが、それでも続いている。3世誕生ということになれば、もちろん日本プロレス史上初。亡き父も喜んでくれることでしょう」

 15日、東京・池上本門寺で力道山の50回忌法要が執り行われる。そして来年は没後50年。時を超えて空手チョップは甦るのか…。

<この原稿は12年12月5日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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