来年3月に開催されるWBCで3連覇を目指す野球日本代表監督に就任した山本浩二はスモール・ベースボールを標榜している。
「国際試合では、そう点は取れないだろうから、足をからめて得点したい。やはりピッチャーを中心にした守りの野球になるんじゃないかな」

 4年前の北京五輪では星野ジャパンの守備走塁コーチを務めた。「この時の経験が大きい」と語り、続けた。
「一番大事なのは選手のコンディション。あの時はシーズン中ということもあり、主力選手に故障者が続出した。新井(貴浩)、稲葉(篤紀)、川(宗則)、西岡(剛)……。どんなに監督やコーチが尻を叩いたところで、結局、やるのは選手なんよ。選んだ選手が
働きやすい環境をつくるのがワシらの仕事やと思うとる」

 現役時代、“ミスター赤ヘル”と呼ばれた。広島の主力打者として球団史上初Vも含め5回のリーグ優勝と3回の日本一に貢献した。
 MVP2回、首位打者1回、本塁打王4回、打点王3回。強肩強打の外野手としてオールスターゲームにも14回出場している。

 個人的に印象に残っているのは1979年の日米野球だ。日本代表に選出された山本は当時、“魔球”と呼ばれたフィル・ニークロのナックルボールを西宮球場の左中間スタンドに叩き込んだのだ。
 振り返って本人は語る。
「あんなボール、日本では見たこともなかった。曲がりながら落ちてくる。それもどっちへ流れるかわからないんだから厄介よ。
 そんな難しいボールをホームランできたのは、あの一球だけが、たまたま高めに浮いたから。ベルト付近のボールやったね。こっちにも“日本人の意地を見せたる!”という思いがあった。あの頃はまだメジャーリーグへの道がなかったから、目の色を変えてアメリカに挑んだものよ」

 現役時代はクラッチヒッターとして鳴らした。法大、広島の後輩にあたる西田真二(現四国アイランドリーグplus・香川監督)は山本を評して、こう語っていた。
「同じチームでプレーしていて感心したのは、浩二さんの洞察力の深さ。ピッチャーの特徴やクセを見つけるのが早く、初対戦でもすぐに対応できていました。勝負師の一面もあり、マージャンも強かったですね」

 大学時代からの友人でもある星野仙一(現東北楽天監督)は「アイツの最後の大仕事。大きな重圧はかかるけど楽しまなきゃ。思う存分やればいい」とエールを送っている。
 今回は3回目にして初めてNPB(日本プロ野球組織)の選手だけで代表チームを結成する見通し。ダルビッシュ有(レンジャーズ)もイチロー(ヤンキースFA)もいないチームを、どう束ねるのか。

「若い選手が多いだけにチームがひとつになることが非常に大事」と主将には阿部慎之助を指名した。勝負師は本番に向けての布石を着々と打っている。

<この原稿は2012年12月23日号の『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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