12月8日にラスベガスで行なわれたマニー・パッキャオ対ファン・マヌエル・マルケスの第4戦は、戦前の予想を上回り、世界中のスポーツファンを釘付けにする死闘になった。
 第3ラウンドにマルケスが右オーバーハンドでダウンを奪えば、第5ラウンドにはパッキャオが左でダウンを取り返す。最後は第6ラウンド終了間際にマルケスの右カウンターが炸裂し、激戦に終止符を打った。
(写真:ラスベガスのMGMグランドガーデン・アリーナでの両雄の激突はいろいろな面で注目されるかたちになった)
 パッキャオが失神した壮絶なKOシーンへの反響は大きく、この試合はさまざまな媒体で取り上げられる結果となった。それ自体は業界にとっても良いはずだが、ただひとつつだけ残念なこともある。勝ったマルケスの栄誉を称える記事と同等か、それ以上に彼の薬物使用疑惑を取り上げた報道が目立つことだ。

 まず断っておくが、マルケスは規定のドーピング検査をパスしており、薬物使用の確たる証拠などどこにもない。今回の試合でのマルケスは見違えるようにパワフルに見えたが、階級を上げた近年は長い時間をかけた肉体改造に取り組んでおり、その成果が出ているとも考えられる。

 パッキャオをKOしたのは完璧なタイミングの“見えないパンチ”であり、パワーの有無に関わらず、あれを貰えばどんな選手でも倒れただろう。近年のスポーツ界では年齢を超越した偉業は、ほぼすべて疑いの目で見られる傾向にあり、今回のマルケスもいわば“犠牲者”と言えるのかもしれない。

 しかし……39歳にしてその身体が破格なまでに大きくなったことに関し、試合前から疑問の声が挙がっていたのもまた事実だった。試合が始まってからも、最後のKOパンチはともかく、豪腕でなぎ倒すように奪った第3ラウンドのダウンは、マルケスがこれまで見せたこともない類いのものだった。

 アメリカ国内でも、試合後に多くのメディアがこの疑惑を取り上げている。タブロイド紙だけでなく、老舗の「ニューヨーク・タイムズ」までもが“KO決着にも関わらず、多くの疑問点を残した”というタイトルの記事を掲載したのも象徴的だった。
<マルケスはボクサーというよりボディビルダーのような身体でリングに上がった。元ステロイドの売人で、バルコ事件で証言した過去があるアンヘル・ギレルモ・ヘレディアを陣営に迎えてトレーニングを重ねてきたことも論議の対象になった。そして、39歳にして、サイズと体格が大きく変わっていることを無視するのは難しい>

 これらの指摘を正当と考えるかはともかく、噂話の類いは取り上げない「ニューヨーク・タイムズ」がこのような記事を載せたことは、疑惑が単なる“酒場トーク”だとは考えられていないことを指し示している。
(写真:多くの大手媒体が試合後に沸き上がった疑惑を伝えている(写真はニューヨーク・デイリーニューズ紙))

 マルケスと同じメキシコ出身のエリック・モラレス(元4階級制覇王者)が試合直後に「メキシコ薬局の勝利だ」などとツイートし、すぐに削除した件も取沙汰された。興行後の周囲の反応を見る限り、マルケス本人は薬物使用を完全否定しているにも関わらず、この一戦を巡る騒ぎはしばらく消えそうにない。

 これまでも、ボクシングの世界にPED (禁止薬物)が蔓延しているとの噂は絶えなかった。パッキャオ、フロイド・メイウェザーの周囲にもステロイド使用疑惑があったのを耳にしたことがあるファンは多いだろう。

 特に検査方法を厳しくしたとされる今年に入って、アンドレ・バート、アントニオ・ターバー、ラモント・ピーターソンといった一流どころから陽性反応を示す選手が続出。10月にはニューヨークでの興行の直前、先のモラレス自身が検査に引っかかり、試合挙行を巡ってすったもんだがあったのは記憶に新しい(結局は強行され、モラレスはダニー・ガルシアにKO負け)。

 同じ10月中には「ESPN.com」が、ロイ・ジョーンズ、イベンダー・ホリフィールドといった元スーパースターたちを過去に薬物使用していた可能性がある選手として名指し。同ウェブサイトに記事を寄せたエリック・ラスキン氏(元リングマガジン記者)は、「かつては“75%のボクサーがPEDを使用している”と聞けば疑ったはずだが、今では“75%では少なすぎるのではないか”と考え始めている」とまで記述している。

 この問題の背後には、かつてのMLBと同じように、ボクシング界ではこれまで薬物蔓延に関して目がつぶられてきた事実がある。たとえ陽性反応を示しても真剣には捉えられず、前述のようにモラレスのタイトル戦は強行された。バートのように出場停止処分を受けても、さほど大きな話題にはならず、復帰戦はすぐにアメリカ国内のメガケーブルテレビ局で生中継。そうやって問題が無視されてきたがゆえに、かえって雪だるま式に膨らんでいったのである。
(写真:バートはステロイド陽性反応を示し、6月に予定された試合がキャンセルとなる事件もあった)

 年間最高試合候補と呼ばれるほどの好ファイトとなったパッキャオ対マルケス戦の後に、こんな話をしなければいけないのは残念ではある。
 マルケスが違反をしたという証拠は出ていないにも関わらず、疑いだけが膨れ上がっていることを腹立たしく思う人もいるのだろう。筆者がこのコラムを書いたことにも、憤りを感じる人もいるかもしれない。ただ、その目的がマルケスを糾弾するためではないことは理解してもらいいたいと願う。

 マルケスがシロかクロかに関わらず、ボクシング界全体が大きな問題を抱えていることは紛れもない事実。そして、規模、試合内容ともに年間最高レベルだった興行のあとに、こうした疑問を呈する意見が吹き出していることは、逆に問題と向き合うチャンスに成り得るのではないかと思う。

 このままでは、いずれ悲劇的な事態が起こってもまったく不思議ではない。想像してみてほしい。もしもパッキャオ、メイウェザー・クラスの著名ボクサーがリング上で事故に遭い、その後に加害者となってしまったボクサーの薬物検査で陽性反応が出てしまったら……。

 そのときに業界全体が被るダメージは、想像するだけで恐ろしい。禁止論を唱えるものたちは色めき立ち、主要なスポンサーはすべて離れ、ただでさえ好調と言えないボクシング人気は低下の一途を辿るはずである。
 そんな悲劇を許さないために――。ルー・ディベラのようなプロモーターがすでに提言している通り、PED検査の基準をより厳しくする必要がある。

「2013年にパッキャオ対マルケスの第5戦が実現するとしたら、五輪スタイルの徹底した薬物検査を実施する絶好機ではないか。過去は変えられないが、未来を良くするためにできることはある。プロモーターの手から離れたところで、厳格な検査方法を確立しなければならない」
 ウェブサイト「MAX BOXING」のスティーブ・キム記者の意見に、まずは全面的に同意したい。
(写真:パッキャオとマルケスの第5戦が来年9月に実現するとの予測も出始めている)

 パッキャオ、メイウェザー、マルケスのようなビッグネームが絡む試合からWADA(世界アンチ・ドーピング機構)、VADA(ボランティアのアンチ・ドーピング機構)の手による検査を徹底すれば、のちのちへの影響力も強いはず。ドーピング検査をより綿密にすれば、まずは魔女狩り的に有名選手が次々とひっかかってファンを落胆させてしまう可能性もある。それでも、前述したようなボクシング界にとって悪夢のシナリオが現実になるよりは良い。

 禁止薬物を巡る騒ぎがこれまで以上に盛り上がった今こそが、クリーン化の気運を高める、またとない機会なのである。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、NFL、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボールマガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞』など多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。
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