その存在は、グラウンドの中でもひときわ目立つ。身長189センチの長身スラッガー杉本裕太郎、今年のプロ野球ドラフト候補の一人だ。杉本自身、最も自信があり、こだわっているのがホームランだ。実は彼には、伝説となったホームランがある。小学校から無二の親友であり、高校までチームメイトだった原一輝は、高校2年の秋、杉本が描いた放物線を忘れることができない。
 翌春に入部を希望する中学3年生が見学に来ていたその日、紅白戦が行なわれた。杉本と原が通った徳島商業高校のグラウンドは狭く、外野の奥にはサッカー部が練習していた。そのため、試合をする際には高さ5メートルほどのネットでフェンスをつくる。そのフェンスを越え、ホームランを放つには110メートル以上の飛距離が必要だった。過去にフェンスを越えた打球を放ったのは、練習試合で訪れた大阪桐蔭高校時代の中村剛也(埼玉西武)ただ一人と聞いていたという。

 ところがその日、杉本は軽々とフェンスを越えてみせた。しかも中村以上の飛距離だったというのだ。
「フェンスの約30メートル奥にはテニス部のコートがあるんです。そのコートの手前には高さ10メートルほどの金網のフェンスがあるのですが、中村選手の打球はその金網の下の方に当たったと聞いていました。でも、アイツは金網の一番上の部分に当てたんです。もう少しで10メートルの金網を越えてしまいそうだったんです。驚きのあまり、目の前で何が起こったのかわからなかったほど、その打球に衝撃を受けましたね」
 彼の素質の高さを十分にうかがい知ることのできるエピソードだ。

 憧れから始まった野球人生

 杉本が野球を始めたのは小学1年の時。同じ小学校に通う“お兄ちゃん”的存在だった人の野球をしている姿を見て憧れたのがきっかけだった。早速、少年野球チーム「見能林スポーツ少年団」に入った杉本だったが、当時は野球のことは全く知らなかった。
「入っていきなり試合に出されたのですが、右利きなのに、左バッターボックスに入ってしまいました。わけもわからずバットを振って、三振してベンチに返ってきたら『オマエ、右だぞ』と言われたのを覚えています(笑)。それくらい、全くルールを知りませんでした」

 だが、すぐに杉本は野球にのめりこんだ。父親によれば、学校に行っている以外は、野球漬けの生活だったという。実は父・敏は同じ小学校でサッカーチームのコーチをしていた。本音を言えば、息子にはサッカーをやらせたいという気持ちもあったというが、決して無理強いはさせなかった。
「何かスポーツはやらせたいと思っていましたから、それがサッカーだったらいいなくらいには思っていました。でも、楽しそうに野球をやっていましたから、良かったのかなと」

 練習は平日の月曜日を除く週4日。週末の土日はほとんどが練習試合や大会に出かけた。友達と遊ぶ暇もないほどの忙しさだったが、杉本にとっては毎日が楽しかった。
「学校に行っている間も、野球のことばかり考えていました。『早く野球がしたいな……』と」
 4年生からピッチャーをやるようになった杉本は、6年生の時にはもう一人の無二の親友、高島佑とともにWエースとして活躍した。サイドスローでコントロールの良かった高島に対し、杉本は長身から投げ下ろす直球が武器の速球派。タイプの異なる2人のエース、そしてそれを支える女房役を務めたキャッチャー原。チームの中心でもあった3人は、気がよく合った。

 順風満帆だった中学時代

 3人を含んだメンバーは中学に入ると、そっくりそのまま軟式野球部に入った。当時の監督は自らマイクロバスを運転し、高知県の強豪、明徳義塾中学校に練習試合に連れて行くなど、指導に熱心だった。それも相まって、3年時には徳島県中学校総合体育大会(総体)で優勝し、四国総体に出場。1回戦では、それまで一度も勝った記憶のなかった明徳義塾に2−0で完封勝ちをした。その試合、先発を務めたのは杉本だった。

「初戦で明徳と当たるとわかった時は、『うわぁ、よりにもよって明徳かぁ』と思いましたよ。中学時代はあまり打たれた記憶はないのですが、明徳に限っては練習試合でもボコボコに打たれ負けたイメージしかありませんでしたから。その日、試合前のシートノックを見ても、高校生みたいにメチャクチャうまくて、『なんだコイツらのレベルは……。もう勝てる気せんなぁ』と思っていたんです。それで、もうダメ元でいきました。それが良かったんだと思います。逆に向こうは結構、ガチガチになっていました」

 2回戦では完封負けを喫したものの、明徳という強豪に勝利しての四国ベスト4という結果は、杉本にとって十分に満足のいくものだった。ただ、全国に行くにはもっと真剣にやらなければいけないということを感じてもいた。高校ではもちろん甲子園出場を目指していた。そんな杉本が選んだ進学先は、甲子園常連校の徳島商業だった。

(第2回につづく)

杉本裕太郎(すぎもと・ゆうたろう)
1991年4月5日、徳島県阿南市生まれ。小学1年の時、「見能林スポーツ少年団」に入り、野球を始める。中学3年時には県総体で優勝、四国総体で4強入りを果たした。徳島商業高では1年春からベンチ入りし、2年秋からエースとして活躍する。青山学院大では野手に転向し、1年春からレギュラーとして試合に出場。2年秋には東都リーグ史上6人目となるサイクル安打を達成し、ベストナインにも選ばれた。189センチ、80キロ。右投右打。









(斎藤寿子)
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