二宮: ご無沙汰しています。最近はジョギングブームで各地で市民マラソンが開催されています。全国を飛び回っている日々では?
千葉: おかげさまであちこちで走らせていただいていますね。走り終わった後で、その土地の地酒をいただくのが楽しみのひとつになっています。

二宮: では相当、お酒は強そうですね(笑)。
千葉: ただ現役を退いて汗をかかなくなったので、お酒に限らず、あまり水分を摂らない体になっているんですよ。だから、そこまで量は飲みませんね。お酒好きの人に言わせると、「水とお酒は別物」らしいですけど(笑)。

 小出監督は“お酒でできている”!?

二宮: 今回はそば焼酎「雲海」のソーダ割りを楽しんでいただければと思っています。
千葉: 実は梅酒のソーダ割りが好きで飲む機会が多いのですが、焼酎のソーダ割りは初めてですね。どんな味がするのか楽しみです。

二宮: このコーナーには女性のゲストもたくさん登場していただいているのですが、ソーダ割りは好評なんですよ。
千葉: わぁー、スーッと入ってきて後味が爽やかですね。確かに女性向けの飲み方かもしれません。これだと口当たりもいいから、どんどんいただけそうですね(笑)。

二宮: ぜひ、たっぷり召し上がってください(笑)。
千葉: 焼酎は飲み慣れない女性にとっては少し敷居の高いところがありますからね。このソーダ割りは、いいきっかけになるかもしれません。

二宮: マラソン選手や関係者はお酒の強い方が多いイメージがあります。千葉さんが指導を受けた小出義雄監督もかなりのお酒好きですね。何度かご一緒したことがあります(笑)。
千葉: アハハハ。小出さんはお酒でできているんじゃないかと思うくらいでしたよね。冬場なんて「朝はお酒が残っているから体がポカポカしているけど、昼になると寒くなってくる」と言っていましたよ(笑)。よく小出さんにお酒を誘われて、みんなで飲み会をしたのが楽しかったですね。

 娘は競輪選手の旦那に似ている?

二宮: 一昨年、8歳年下の競輪の桜川雅彦選手と結婚されました。競輪とマラソンとでは接点が少ないようにも感じますが、馴れ初めは?
千葉: 友人が開催したバーベキューで一緒になって、たまたま現役時代に通っていた治療院が同じだったという縁で知り合ったのがきっかけです。旦那も特に私のファンだったわけではないみたいですね。かえってお互いによく知らないほうが、恋愛関係に発展するから不思議な感じがします(笑)。

二宮: では、それから車券を買ったりして仲良くなったと(笑)。
千葉: それが……あまり競輪自体には詳しくはないんです。家では競輪の中継が流れていて、旦那がよく研究しているので、チラチラとは観ています。陸上に例えるならスタミナとスプリントとの配分や、残り1周の駆け引きなどが800メートル、1500メートルに近い気がしますね。

二宮: 陸上競技の観点からアドバイスすることもあるのですか?
千葉: ついつい、そんな話になってしまいますよね(苦笑)。私のほうが年上で上から目線になってしまいがちだし、家ではリラックスしてほしい。外でいろいろあっても「おかえり!」と包み込んであげるような家庭が理想なので、本当はあれこれ口出しはしたくないのですが……。

二宮: 理想と現実は違うと(笑)。
千葉: 頑張ってほしいので、どうしてもいろんな話をしたくなりますよね。でも私が言うと本人も気が休まらないでしょうから、最近は二宮さんの書籍や、アスリートの書いた本を渡して、「こんなこと書いてあったよ」とさりげなく伝えるようにしているんです。

二宮: 拙書が少しでも、もしお役に立てるならうれしいですね。昨年は女の子も出産されましたから子育てに仕事に大変でしょう?
千葉: 女の子なのに父親に似たのか太ももが太いんです(笑)。産まれた時から大きくて、まだ6カ月なのに1歳の子と間違えられるくらいスクスクと成長しています。

二宮: 今はガールズケイリンもありますし、将来有望ですね。
千葉: 自転車をするかどうかはともかく、何でもいいからスポーツには取り組んでほしいですね。その中でどんな適性があるかを、バッチリ私が判断したいと思っています(笑)。

二宮: 本人ではなく、千葉さんが見極めるわけですか(笑)。
千葉: やはり私は持久力系、旦那はスプリント系ですから、どちらの血を受け継いでいるのか、筋肉の質なども見てみる必要があるでしょうね。仕事柄、いろんなアスリートと話すのですが、小さい頃に水泳で心肺機能を鍛えたり、体操で柔軟性やバランスを養っているケースが多い。だから、どんな道に進むにしても水泳と体操はやらせたいなと考えています。

 バイオリンから陸上へ

二宮: 確かに水泳や体操をしていたトップ選手は少なくない。陸上でも棒高跳びで世界記録を連発したセルゲイ・ブブカも体操をしていたと言っていました。千葉さんが陸上を始めたきっかけは何だったのでしょう?
千葉: 実は最初からスポーツを特別、熱心に取り組んでいたわけではないんです。母が琴をやっていた関係で、幼稚園から中学2年まではバイオリンをやっていました。テニス部には所属していたんですが、ほとんど遊びのような感じでしたね。それが中学3年の時に駅伝の人数が足りないから、たまたま陸上部に借り出された。そこから、この道に入ることになったんです。

二宮: それは意外ですね。ただ、陸上部から声がかかるくらいであれば走るのはもともと得意だったのでは?
千葉: 長距離走に関しては小学校のマラソン大会では1位になったこともあるので、そこそこ自信はありました。母からは間食を控え、3食をしっかり摂るように育てられたので、知らず知らずのうちに体力がついていたのかもしれません。

二宮: 高校は強豪の立命館宇治(当時宇治高)に進みます。
千葉: これも学校が自転車ですぐのところにあったからです。本当は公立校に進む予定だったのですが、駅伝で「テニス部出身で速い選手がいる」という話を監督さんが聞きつけて声をかけていただいたことも決め手になりました。まだ15歳ですから、誘ってくれたら、それはうれしいですよね。

二宮: でも、陸上が盛んな学校ですから練習は厳しかったでしょう?
千葉: 最初は全くついていけませんでした(苦笑)。全国から優秀な選手を集めてきていますし、中学時代の私はテニス部で陸上の専門的な練習をしたことがない。ケガもよくしていました。ただ、必死で頑張っていたら高2の頃にグンと記録が伸びたんです。

二宮: へぇー。それは何か理由があったのでしょうか。
千葉: 故障がちで走れない時に、腹筋や背筋、腕立て伏せなど体力強化のトレーニングをずっと続けていました。それで基礎ができたのでしょうね。ケガから回復して走ってみると、一気に3000メートルのタイムが30秒ほど縮まりました。どうしても陸上選手は走ることがメインになってしまいがちですが、地道な基礎トレーニングも大事なんだと身をもって体感しましたね。

二宮: 高校卒業後は旭化成へ。こちらも長距離の名門チームです。
千葉: このいきさつも面白いんです。私の2つ先輩に、のちにアジア大会の10000メートルで金メダルを獲った高尾憲司さんがいらっしゃいました。高尾さんが旭化成に入社して活躍されたので、うちの高校から、たくさん選手が入る流れができたんですね。私たちの学年では男女合わせて5人も行きました。私自身は高校駅伝に出たくらいで、インターハイに1度も出場経験のない選手。普通なら旭化成なんて考えられないことですが、大量に採用していただいたおかげで運良く入社できました。

二宮: 旭化成といえば、当時は宗茂さん、猛さんの宗兄弟が指導にあたっていましたね。どんな指導でしたか?
千葉: まだおふたりとも若くて一緒によく走っていました。引退しても私たちと同じレベルでは走っていましたから、指導者というよりはライバルといった感じでしたね。その背中を追いかけて走りながら、うれしいこともツライことも分かち合った印象があります。

 マラソンを失敗したまま終われなかった

二宮: 京都から宮崎に行っての一人暮らしでホームシックにはなりませんでしたか?
千葉: 高校時代から練習が厳しくて家と学校の往復のような生活でしたから、むしろ社会人になると自由時間があったのでうれしかったですね。その頃から、いずれマラソンを、との希望がありましたし、旭化成には男子の谷口浩美さん、森下広一さん、女子の朝比奈三代子さんとトップクラスのランナーも多かった。素晴らしい環境で練習できたことは、私にとっては良かったと感じています。

二宮: 旭化成は日本長距離界を牽引する存在でしたが、その強さの秘密はどこにあったのでしょう。
千葉: 環境に加え、練習のノウハウが確立されていましたね。内容にもメリハリがあって、ポイントを押さえてしっかりやる。たとえば月曜日にインターバル走や、まとまった距離を速いペースで走ったりとキツイ練習をすると、その後の2日間ほど軽めのメニューになるんです。そして、また負荷をかける。それを繰り返すことで質を重視した練習になっていたと思います。

二宮: その後、小出監督にも指導を受けましたが、方法はまた違ったと?
千葉: 小出さんは旭化成とは対照的でしたね。まずは量をこなす。タイムはともかく、とにかく走ることが大事だと。旭化成時代は10000メートルが主で、小出さんの下ではマラソンを目的にしていましたから、余計に内容が違ったのかもしれませんが、その両方を経験できたことは私の大きな財産になりました。

二宮: 10000メートルでは96年のアトランタ五輪で5位入賞。97年のアテネ世界陸上で銅メダルに輝きました。
千葉: いい時代に生まれましたね。その後、トラックの長距離種目はさらにスピード化して、簡単には日本人が太刀打ちできなくなっていましたから。実際に世界で走ってみて、そのことを肌で感じたのもマラソンに転向したいと思った理由なんです。

二宮: マラソンではなかなか結果を出せず、苦しんだ時期もありました。
千葉: 徐々に記録を伸ばして、ようやくマラソンに挑戦できる段階になったのですが、練習のレベルが上がったこともあってケガが増えてしまったんです。出場予定の大会もキャンセルばかりで、マラソンに転向してから実際のレースを走るまで2年ほどかかりました。ようやくスタートラインに立てたのは99年の東京国際マラソン。シドニー五輪の代表選考会でもあったので、私は前半から飛ばしました。ところが、後半に失速してしまって不本意な結果(5位)に終わってしまったんです。翌年の最終選考会を兼ねた名古屋国際女子マラソンも直前のケガで出られず、悪循環に陥っていました。

二宮: それで旭化成を退社するわけですが、実業団の移籍が珍しい時代でしたから風当たりも強かったでしょう?
千葉: ものすごく悪いことをしたようなイメージでしたよね。最初は高校時代からずっと走り続けてきましたから、少し休むのもいいだろうと半年ほど休職させていただいたんです。その中で、やはりマラソンを失敗したままでは終われないという気持ちが沸いてきました。練習では2時間30分で走っていたので、“私の力はこんなものではない”との思いもありましたね。
 どうせ続けるなら、今までとは違った方法を試してみたい。その時に気になったのが、シドニー五輪で金メダルを獲った高橋尚子さんと、銀メダルだったリディア・シモン(ルーマニア)さん。そのどちらかのチームに入りたいと思って練習にも参加させていただきました。どちらも非常に良かったのですが、最終的には高橋さんを指導している小出さんのチームに行く決断をしました。

(後編につづく)

<千葉真子(ちば・まさこ)プロフィール>
1976年7月18日、京都府生まれ。立命館宇治高校から旭化成に入社し、96年のアトランタ五輪10000メートルで5位入賞。97年のアテネ世界陸上10000メートルでは日本トラック界では初となる銅メダルを獲得するなど、日本女子長距離界のトップ選手として活躍。旭化成退社後は豊田自動織機に所属し、佐倉アスリート倶楽部・小出義雄監督の指導を受けて、03年パリ世界陸上はマラソンで銅メダルに輝く。世界陸上で日本人で初めてトラック、マラソン両種目のメダルを手にした。05年からは小出監督のもとを離れて独立。競技人生の集大成として自らの考えと計画のもとでマラソンに挑戦する。06年8月の北海道マラソンを最後に第一線から引退。現在は“スポーツで世の中を元気にしたい”との目標を掲げ、各地のマラソン大会でのゲストランナーを中心に、講演会、メディア出演などで幅広く活動中。また、「千葉真子BEST SMILEランニングクラブ」を立ち上げ、市民ランナーの指導や普及活動も積極的に行っている。
>>オフィシャルブログ「BEST SMILE」

★今回の対談で楽しんだお酒★[/color]

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<対談協力>
味街道 五十三次
東京都港区高輪4−10−30 品川プリンスホテル
TEL:03-5421-1114
営業時間:
昼食 11:30〜15:30(L.O.15:00)
軽食 15:00〜17:00(L.O.16:30)  
夕食 17:00〜22:00(L.O.21:30)

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◎クイズ◎
 今回、千葉真子さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:石田洋之)
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