明けましておめでとうございます。今年もBCリーグおよび福井ミラクルエレファンツへのご声援、よろしくお願い申し上げます。さて、監督1年目の昨季は、他球団はもちろん、エレファンツにおいてもどんな選手がいて、どんな野球をするのかを把握するところから始まりました。自分自身が監督として初めてのシーズンだったということもあり、どうすれば勝てるのか、模索の1年でした。その中で、後期に優勝、そしてプレーオフでは石川ミリオンスターズとのチャンピオンシップを制し、北陸地区で優勝することができました。
 とはいえ、相手のデータをとり、戦略をたてるというようなことはほとんどできませんでした。相手がどうのという前に、自分のチームがどう戦っていくのか、正直そのことでいっぱいだったのです。そんな中、チームづくりで最も感じたのは、監督としての思いを選手に伝えることの難しさです。

 今年のチームスローガンは「think〜思考〜」でした。選手たちに自分は何のためにここにいるのか、自分の目指すべきものは何なのか、そのためには何をすべきなのかを考えてほしいと思ったからです。野球というスポーツはケース、ケースで常に細かく状況が動いています。その中で試合に出場する、しないにかかわらず、自分の置かれている立場において、今、何ができるのか、そのことを考えてほしかったのです。

 ところが、はじめはこの「考える」ことについて、誤解をしている選手が少なくありませんでした。「考える」=「正解を出す」と考えたのでしょう。一生懸命に正しい答えを出そうと悩んでいる姿が多く見受けられました。私が何か質問をしても、正解を言わなければいけないと思うあまり何も答えられなかったのです。

 しかし、後期に入ると、「考える」ということがどういうことかを理解できる選手が増えてきました。そのため、シーズン終盤にはチームとして戦えるようになっていました。その典型だったのが、石川との地区チャンピオンシップでした。この時の3試合は、チーム全員が同じ方向を向いていたように感じられました。シーズン中は「これでいいのだろうか」と監督の私の顔色を見て、不安そうにプレーしているところがありましたが、プレーオフでの石川戦は全く違っていたのです。言ってみれば、監督の私のことなどお構いなし。選手たちが率先してプレーしていました。チームの一体感を感じ、私自身、その3試合は非常に楽しかったですし、感動もしました。

 好影響を及ぼした新加入

 こうしたチームの成長の伏線は、後期優勝の直前にありました。後期の序盤、福井は5連敗を喫し、最下位に転落しました。この時期は何をやってもうまくいかず、勝利に見放されていました。しかし、そこから少しずつ挽回し、終盤には怒涛の8連勝で優勝も見えてきたのです。この頃からチームは変わり始めていました。キャプテンの西川拓喜(三島学園三島高−白鴎大)や金森将平(福井高−三菱自動車岡崎)などの中堅・ベテランが率先して選手ミーティングを行ない、自分たちで注意するようになっていたのです。

 そして、チームを変えたきっかけのひとつが、小林恭兵(会津工業高−会津ベースボールクラブ−群馬ダイヤモンドペガサス)の入団でした。彼は7月にチームに加わると、後期に入る前のオープン戦で早くも結果を出しました。私は常々「結果を出した者を使う」と言っていましたので、小林の台頭には同じポジションの内野陣たちは危機感を覚えたことでしょう。こうした競争力がチームを活性化させたのです。

 また、小林は思ったことを口にするタイプで、年齢に関係なく、はっきりと言うことができる選手です。それこそ、わからないことがあれば、相手が年下であろうと、聞こうとします。私にもどんどん質問をぶつけてきました。こうした野球に対する貪欲な姿勢が、同世代に大きな影響を与えたと思います。

 森本、西川への期待

 さて、昨季のチームからは2人のNPB選手が誕生しました。オリックス5位に指名された森本将太(福井高)と、同育成2位の西川です。森本は技術的にもボールの質を見ても、NPBを十分に狙える素材でした。森本自身、そうした立場を自覚していましたし、野手もそのことを理解していました。そのため、昨年1年間、私は彼についてはほぼノータッチを貫きました。もちろん、練習時間が短く感じたりと、「もっとやらせた方がいい」と思うこともありましたが、彼を一人立ちさせるために我慢すべきだと思ったのです。森本はその期待に応え、結果を出してくれました。
(写真:リーグでは2人目の本指名を受けた森本)

 森本は性格的にもNPBでも十分に通用するでしょう。とはいえ、NPBの打者のレベルは彼が予想している以上に高いはずです。強打者がゴロゴロいる世界で、森本はきっと壁にぶつかると思います。しかし、彼は自ら修正する能力がありますから、その力を遺憾なく発揮してほしいですね。彼の強みは内角を強気に突くことができること。ツーシームやスライダーといったキレのある変化球を幅広く使えば、1年目からの活躍が期待できるでしょう。

 一方、西川はキャプテンとしてチームを牽引してくれました。練習もしっかりとこなし、チーム随一の努力家です。ただし、今後はより考えて野球をしなければなりません。彼の武器は足です。速さならプロでも十分に通用すると思います。その武器をどう活かすかが重要です。例えば、安易にフライを上げるのではなく、ゴロを打てば、内野安打の可能性が出てくる。そうすれば、自ずと出塁率は高くなります。NPBでは間違いなく、足を使った技を求められることでしょう。たとえ代走でも、チームにとっては大事な戦力として生き残ることができるのです。こうした自分の立場を理解したうえで、持ち前の努力を重ねていってほしいと思います。

 将来性豊かなサウスポー山内

 昨年11月30日のBCリーグドラフト会議では、投手3人、捕手1人、内野手2人、外野手3人と、どのポジションもまんべんなく補強することができたと満足しています。なかでも注目されているのは、甲子園常連校の横浜高から入団するサウスポー山内達也。彼は投手として1年夏からベンチ入りし、同年秋にはエースナンバーをつけたほどの逸材です。

 しかし、ケガで野手への転向を余儀なくされ、2年秋からは打者に専念しました。打者としても4番を打つなど活躍しましたが、彼は投手への気持ちを捨て切れず、BCリーグには投手としてトライアウトを受けました。

 トライアウトを見た限りでは、やはり素質は高く、将来性は十分にあると思いました。ただ約2年、投手をしていませんから、投手としての体力や感覚を取り戻していく作業が必要でしょう。トライアウト1日目、ブルペンで投げる姿を見ると、強いボールを投げていて、「いい投手だな」と感じました。しかし、2日目のシートバッティングでは投手に必要な方の体力が衰えていたのでしょう、ブルペンで投げていた時とは一転、ボールがいっていませんでした。ブランクがありますから、1年目からの活躍というよりは、2、3年というスパンで見ていきたいと思っています。もともと高い素質があるだけに、どんな投手に育つのか、私自身も非常に楽しみです。

 もちろん、他の新人選手も戦力となってくれることを期待しています。しかし、ほぼ全員がBCリーグの予想以上のレベルの高さに驚くことでしょう。その中で、自分はどうすればここで活躍することができるのかを考えてほしいですね。そしてチーム全体に競争心が芽生え、切磋琢磨してくれることを願っています。

酒井忠晴(さかい・ただはる)プロフィール>:福井ミラクルエレファンツ監督
1970年6月21日、埼玉県出身。修徳高校では3年時にエースとして活躍し、主将も務めた。89年、ドラフト5位で中日に入団。プロ入り後は内野手として一軍に定着した。95年、交換トレードで千葉ロッテに移籍し、三塁手、二塁手のレギュラーとして活躍した。2003年、再び交換トレードで中日に復帰したが、その年限りで自由契約に。合同トライアウトを受け、東北楽天に移籍した。05年限りで引退したが、07年からは茨城ゴールデンゴールズでプレーした。12シーズン、福井ミラクルエレファンツの監督に就任した。
◎バックナンバーはこちらから