昨年実施された第2回「マルハンワールドチャレンジャーズ」では、第1回を上回る657名(チーム)のアスリートから応募があった。書類選考を経て、14名(チーム)が8月に都内で開催された最終オーディションに参加。審査員と参加者の投票により、7名のWorld Challengersが選ばれている。今回からはオーディションに残った全選手(チーム)を順番に紹介していきたい。最初に登場するのは14名(チーム)の中から見事、グランプリに輝いた自転車ロードレースの小橋勇利選手(ボンシャンス飯田)だ。この春の高校卒業後、本場ヨーロッパで勝負をかける決意を固めた18歳に、二宮清純が2回にわたってインタビューする。

(写真:自身のブログでは出場レースを詳細に分析。クレバーさも光る/撮影:高木秀彰)
 結果発表で涙の理由

二宮: 「マルハンワールドチャレンジャーズ」でのグランプリ獲得おめでとうございます。今回の応募のきっかけは?
小橋: 自転車専門のウェブサイトに、この企画のことが紹介されていたのがきっかけです。母が発見してくれて、「じゃあ、応募してみようか」という感覚で申し込みました。その時は、まさか協賛金をいただけるとは思いもしなかったですね。

二宮: では、最終オーディションに残ること自体信じられなかったと?
小橋: はい。オーディションに参加することが決まってビックリしました。でも、実際にプレゼンをしてみて、なんとなく行けるんじゃないかという気分になりました。

二宮: 「日本人が達成していないツール・ド・フランスでのステージ優勝」を将来の目標に掲げ、堂々とした発表でしたね。最後に協賛金を獲得する選手が順番に発表されていきましたが、ドキドキしたでしょう?
小橋: 最後まで自分の名前が呼ばれないので、正直、何もないのかなと感じました。その半面、「最後まで残っているんだから、これは僕が呼ばれるんだ」という暗示をかけながら、弱気を抑えこもうとしていましたね。

二宮: 300万円を獲得して涙を流していたのが印象的でした。
小橋: あの時はいろいろな感情が混ざった涙でした。もちろん協賛金をいただけたことはうれしかったのですが、今回、オーディションに参加した他の選手の話を聞いていると、みんな大変だし、苦労している。その中で僕が一番大きな額をいただいたことに重い責任を感じました。そう思うと涙を抑えきれなくなってしまったんです。

二宮: 協賛金はどのように活用していますか?
小橋: 銀行口座に振り込まれた時には、今まで見たことのない額で実感が沸きませんでした。ロードレースは遠征が多く、9月にはジュニア世界選手権に参戦するためにオランダにも行きました。まずは、そういった費用に充てさせていただいています。

 高校卒業後はフランスへ

二宮: オーディションでは「高校を卒業したらプロを目指してヨーロッパに渡る」と宣言していましたね。具体的な行き先は決まりましたか?
小橋: まずはアマチュアの立場でフランスに行く予定です。西部のナントを拠点にした強豪チームに入ることになっています。
(写真:2012年の実業団東日本ロード。国内のトップ選手たちと肩を並べて走る/撮影:高木秀彰)

二宮: チーム入りにあたってセレクションはあるのでしょうか?
小橋: テストはありません。これまでの成績と、日本人で初めてツール・ド・フランスの表彰台(2012年第4ステージ敢闘賞)に上がった新城幸也選手などの紹介もあって所属できることになりました。

二宮: ここをステップアップにしてプロチームから誘われるチャンスを待つと?
小橋: そうです。だから1年目から勝負なんです。特にシーズンの初めが重要。ここで成績が悪いと、チームの中でも1軍、2軍と振り分けられてしまいます。下のチームになると、なかなか上のレベルで走れない。まず春先のレースで結果を出すことが求められています。

二宮: アマチュアといえども、ヨーロッパは実力のある選手が多いでしょうし、向こうの環境に慣れるのも大変でしょうね。
小橋: 語学学校に通ってフランス語の勉強は始めています。ただ、イタリア語もヨーロッパに1カ月ほど遠征している間にだいぶ上達しました。話せないとどうしようもない環境になると、自然覚えるようになりますね。

 縁のない土地での単身生活

二宮: 自転車競技を始めたのは小学3年生だったそうですね。
小橋: それまではサッカーをやっていたんですけど、球技は得意ではなかったんです。むしろ学校が終わってサッカーの練習の行き帰りで自転車に乗っている時間が楽しかった。練習場にも早く行って、グラウンドの周りをグルグル自転車で走るくらいだったんです。本当に台風が来ても、雪が降っても1年中、自転車に乗っているような子どもでしたね。

二宮: それで一度、レースに出てみようと思ったと?
小橋: はい。「レースがあったら出たい」とずっと言っていました。小さい頃からカーレースを見るのが好きで、自動車が運転できないので、自転車でレースをしたかったんでしょうね。そんな時、母がたまたま新聞でレースの告知を見つけてくれて参加しました。いつも乗っているボロボロの自転車でしたが、それで5位に入ったんです。その瞬間、僕が輝ける舞台はこれだと感じたんです。

二宮: でも北海道だと冬場はなかなか練習できない……。
小橋: 僕の出身の日高はまだ雪が少ないんですけど、それでも冬はロードで練習できない。だから中学を卒業したら雪のないところに行きたいなと思っていました。

二宮: 自転車のできる環境は全国各地にあるでしょうが、愛媛の松山工高を選んだのは?
小橋: 中学3年の時に、日本自転車競技連盟のジュニアの強化合宿に参加した際、松山工高の選手が来ていたんです。それが縁で監督とも話ができ、練習環境も素晴らしいと感じました。それが決め手になりましたね。

二宮: 愛媛での生活はどうでしたか?
小橋: 両親とも離れ、知り合いひとりいない土地で、最初は学校に部活、家事に追われて苦しかったです。でも、強くなるためだと思って、耐えました。精神力はかなり鍛えられたと思います。
 そのうち自転車であちこち行って、だいぶ道も覚えましたし、食事面も北海道に負けないくらい魚がおいしかった。先日、栄養面をチェックしてもらったんですが、おかげで「良好」という診断でした。

二宮: 瀬戸内の魚はおいしいですし、愛媛といえばビタミン豊富なみかんもありますからね。
小橋: 北海道にいた頃はみかんがなっているところを実際に見たことがなかったんです。練習で走っていると、そこら中にみかん畑があって、みかんが転がっているので最初は驚きましたね(笑)。

 自信になったインターハイ&ジャパンカップ制覇

二宮: 普段はどのくらいの距離を練習しているのでしょう?
小橋: 60〜80キロくらいです。平坦な道を走ったり、上り中心のメニューだったり、日によって変わります。

二宮: 愛媛に来てすぐ、高1でインターハイを優勝しました。これは記録が残っている中ではロードレース初の快挙だったとか。
小橋: これは自信になりましたね。実際、この時の目標は「完走」でした。当時は全国の強豪の中で自分の実力がどのくらいなのか全く分からなかったので……。入賞できれば奇跡だという感覚でしたから、優勝するなんて信じられない気分でした。

二宮: そして翌年は大学生や社会人もいる中でジャパンカップ優勝。日本アマチュア界では最高峰のレースを制したのは高校生で史上初でした。これもさらなる自信になったでしょう。
小橋: インターハイの時も、この時も最後のゴールスプリントを制して勝ったんです。だから、この2大会の勝利で自分のスタイルに確信を持てました。
(写真:雨の中、ラストのアタックで強豪選手を引き離した/撮影:高木秀彰)

二宮: ラストの競り合いになれば、負けないと?
小橋: 最後の最後はみんな苦しくなって、ひとりふたりと先頭集団の人数が減ってくる。少人数でのスプリントになれば勝てるという手ごたえをつかんたのは大きかったですね。アマチュアのレースでは、いかに自分の得意な展開に持ち込むかも大事になる。その駆け引きは面白いところですね。もちろんプロは、どんな場面になっても対応してきますからレベルが違います。今後は少人数に絞られてからのスプリントだけでなく、他の部分でも自分の強みを増やしていきたいです。

(後編は1月23日に更新予定です)


小橋勇利(こばし・ゆうり)
1994年9月28日、北海道生まれ。ボンシャンス飯田所属。愛媛・松山工高3年。10歳で自転車競技と出会い、レースに参加。1年中練習ができる環境を求めて、高校は愛媛へ単身で進学する。初出場となった高1のインターハイでは個人ロードレースで上級生を抑えて優勝する快挙を達成。11年10月のジャパンカップ・オープンを高校生で史上初めて制覇し、日本アマチュア界の頂点に立つ。2012年もアジアジュニア選手権でトップと同タイムの2位。ツール・ド・おきなわジュニア国際の部では連覇を果たした。今春からは本場ヨーロッパに渡り、プロを目指す。同年8月の第2回「マルハンワールドチャレンジャーズ」ではオーディションに臨んだ14選手(チーム)の中でグランプリに輝き、協賛金300万円を獲得した。168センチ、54キロ。
>>公式サイト





『第2回マルハンワールドチャレンジャーズ』公開オーディションを経て、7名のWorld Challengers決定!
>>オーディション(2012年8月28日、ウェスティンホテル東京)のレポートはこちら


※このコーナーは、2011年より開催されている、世界レベルの実力を持ちながら資金難のために競技の継続が難しいマイナースポーツのアスリートを支援する企画『マルハンワールドチャレンジャーズ』の最終オーディションに出場した選手のその後の活躍を紹介するものです。

(構成:石田洋之)
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