日本代表にとっては「脅威」、見る者にとっては「驚異」か。魔球と形容されるナックルボールの使い手で、昨季のサイ・ヤング賞投手R・A・ディッキー(ブルージェイズ)がWBCの米国代表に加わるらしい。
 あまり知られていないがレンジャーズの3Aオクラホマでくすぶっていた頃、彼が一番憧れたのがヒデオ・ノモだった。「沈むボールを覚えろ」とのコーチの指示で懸命にフォークボールの習得に励んだが、これはモノにならなかった。
 ドラフト1巡目入団ながら、これといって特徴的なボールのないディッキーが最後に頼った先がナックルボールのスペシャリストでメジャーリーグ通算216勝のチャーリー・ハフ。低めへの制球力の良さは師匠譲りだ。

 しかし上には上がいるもので、ほとんどナックルボール一本槍でメジャーリーグ歴代16位の通算318勝をあげた投手がいる。97年に米国野球殿堂入りを果たしたフィル・ニークロだ。人差し指と中指の爪をボールに立て、押し出すようにリリースする投げ方で48歳まで現役を続けた。

 ナックルボールほど予測のつかないボールはない。「ボールの軌道はボールに聞いてくれ」とでも言わんばかりに気紛れに軌道を変えるUFOのような魔球をバットの芯でとらえるのは至難の業だ。

 だから、私は驚いたのだ。79年秋、日米野球にフィル・ニークロがやってきた。79年と言えば広島が初めて日本一に輝いた年である。広島の主砲は現日本代表監督の山本浩二だ。
 舞台は西宮球場。全日本の主軸を担った山本はニークロのナックルボールをいとも簡単に左中間スタンドに叩き込んでみせたのだ。いくら親善試合とはいえ、これには度胆を抜かれた。

「実はあれには伏線があったんよ」。そう前置きして山本は34年前の魔球打ちの秘話を明かした。「1死一塁で西本(幸雄)監督からエンドランのサインが出た。ところがワシが低めのナックルを空振りしたものだから、ランナーが殺された。ワシは当然、空振りしたナックルを待つわな。そこへ高めのナックルがきた。どうやって打ったか覚えとらんよ。とにかく、あんなボールは見たことがなかった。縫い目が全部見えた。ああいうのを魔球というんやろうなぁ……」

 ナックルボールとミスター赤ヘル。魔球を巡る物語には、どうやら続きがありそうだ。

<この原稿は13年1月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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