2次ラウンドで姿を消したものの、第3回WBCでの台湾の活躍ぶりは、あっぱれだった。3月8日の日本戦ではサムライたちをあと一歩のところまで追い詰めた。

 WBCは球数制限があり、2次ラウンドでは80球までと決められている。ヤンキースで2年連続19勝をあげている先発の王建民は6回まで日本に1点も与えなかった。
 もし、球数制限がなかったら、日本は王建民に完封を許していたかもしれない。延長10回に逆転勝ちをしたものの、一発勝負の恐ろしさをまざまざと見せつけられた試合だった。

 周知のように戦前、台湾に野球を伝えたのは日本人である。四国の名門・松山商を指導した近藤兵太郎が指揮を執った嘉儀農林(現嘉儀大)は31年、全国中等学校優勝野球大会に台湾代表として初出場。いきなり準優勝に導き、内地を驚かせた。
 同校は日・中・高砂の民族混成軍。作家の菊池寛をして、「僕はすっかり嘉儀びいきになった。異なる人種が同じ目的のため共同し、努力する姿はなんとなく涙ぐましい感じを起こさせる」と言わしめている。

 台湾出身のプロ野球選手と言えば、日本では郭源治(元中日)、郭泰源(元西武)、荘勝雄(元ロッテ)、呂明賜(元巨人)らがすぐに思い浮かぶ。現在はミンチェ(オリックス)、林威助(阪神)、陽耀勲(福岡ソフトバンク)、陽岱鋼(北海道日本ハム)らがプレーしている。陽岱鋼は今回の代表にスタメンとして名を連ねていた。

 海外に目を移すと、昨季、オリオールズで12勝をあげた元中日のチェンこと陳偉殷も台湾出身である。彼は代表入りを辞退したが、8日の試合、もし王建民からチェンにつながれていたらと思うとゾッとする。

 台湾ではプロ野球のことを「職棒」と呼ぶ。レベルは日本の一軍半あたりだが、トップクラスの選手は日本のレギュラークラスと比較しても引けをとらない。今回の大健闘で野球熱が高まれば、「職棒」のレベルもさらにワンランク上がるに違いない。

<この原稿は『週刊大衆』2013年4月1日号に掲載されたものです>

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