長嶋茂雄さんと松井秀喜さん。団体での国民栄誉賞授与は「なでしこジャパン」の一例があるが、2人同時授与というのは、史上初めてである。ここに、安倍政権のメッセージが込められているような気がしてならない。
 昨年末、松井さんはニューヨークでの引退記者会見で、最も印象に残るシーンとして「長嶋監督との2人の素振りの時間」をあげた。このうるわしい“師弟愛”は安倍政権が共有する教育観や道徳観に合致する。

 安倍政権になってからの国民栄誉賞授与者は大鵬幸喜さんに次いで長嶋さん、松井さんと3人全てがスポーツマンである。2020年東京五輪・パラリンピック開催を国策に掲げる政権にとって、スポーツ界のビッグネームへの授与は招致活動を加速させるだけでなく、国民の信認を得る上で、きわめて効果的である。予備校のCMではないが、「なぜ、この時期か?」と問われれば「いつやるか? 今でしょ!」ということなのだろう。推測だが、ダブル受賞の計画は、早い時期から周到に練られていたと思われる。

 国民栄誉賞に批判的な向きからは「規定がはっきりしない」という声を、よく耳にする。反論するわけではないが、そもそも規定など最初からないのだ。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者」が唯一の規定らしい規定で、これとてあってないようなものだ。

 それでいいではないか。明確な規定をつくれば、逆にぎくしゃくする。漠として曖昧なところが、この賞の肝であり、“緩さ”ゆえに、ほのぼのと、そこはかとなく愛されているという逆説こそを支持したい。

 それゆえ現政権は「国民栄誉賞の政治利用」などという外野からの声に耳を貸す必要はない。アベノミクスの3本目、最後にして最も重要な矢は成長戦略だ。それには規制改革が欠かせない。古いドアを蹴飛ばして海を渡り、ストライキで危機にあった米国の国技をも救った野茂英雄さんや単独で太平洋を横断し、日米間に勇気という名の虹を架けた堀江謙一さんあたりにも、この賞を授与すれば、内向きで縮み志向といわれる昨今の国民のマインドに大きな変化をもたらすだろう。そう遠くないうちに大鵬さん、長嶋さん&松井さんに続いて3本目の矢を射て欲しい。

<この原稿は13年4月2日付『スポーツニッポン』に掲載されています>